他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

白胡麻の白色度

ブラウザの調子が悪かったので再起動した。町田康のエッセイ? 講演録? で記憶に残った部分をもぐもぐしながらウォークマンで音楽を聴いていたら、あぁ、米津玄師は(その本の例えで言えば)ロックから歌謡曲になったからピンと来なくなったんだな、と気付いた。どういうこっちゃな、と思ったら、その本を読めばいい。最後の3章くらいに価値が凝縮しているとは私の意見である。そういえばこの前Papa John'sというところでピザを食べたのだが、なんか見たことあるロゴだな、なんだっけな、と考えて、アークナイツの去年の夏イベント、ドッソレスホリデーのイベント交換所がMama John'sみたいな名前であって、ロゴもほぼまんまだったから、元ネタがこれかあ、としみじみした。そんなにうまくはなかった。ハラペーニョにパン粉をつけてチーズと一緒に揚げた、バカみたいなサイドメニューも食ったのだけど、ハラペーニョとチーズがくたくたのパン粉で一緒になった、調和ではなくてただ即物的な足し算の味がするだけで、なんでこれが1000円くらいもするねん。円安の大バカタレ。変な時間に昼飯を食ったから夜飯をよしたら、今とても腹が減っていて、さっとまともに食えるものがペヨングハーフアンドハーフかさつまいもしかない。夜中にでっかいカップ麺なんか食ったら寝ている時に絶対気分が悪くなるから、さつまいもを食いたいが、こういう場面でピザを2枚くらい食べて猛烈な後悔をしたいという小さな規模の破滅願望がある。ある日卒然と思い立ってピザを2枚買って帰って食うのだ、と話をすると承伏しかねる旨浮かべた顔をされるのだが、私が食べ物という形でその衝動に形を与えているだけで、余人も同じく、動機と目的地が不明のインパクトにぽーいと背中を押される瞬間があるのではないかと、いや絶対あるったらあるもんと駄々をこねたいくらいなのだけど、その小さな内面の芽吹きに意識をやらないのだろうか。私がひとりで壁打ちをしているだけなのか。容疑者Xの献身で、牢の壁の染みを手がかりに頭の中で三色問題に取り組み、ゆえに暇では全くないのだみたいなのがあったはずで、つまり一人遊びが下手なのかしら。私は一人で、頭の中をうろうろしているのが好きだ。ありあわせの材料で突拍子のないものができたり別にできずにそっと元の位置に戻したりしているだけで時間が潰せてしまう。まあ本を読んでいるに越したことはないけども。

予言SMLサイズ

町田康『私の文学史』を読んだ。途中までは、喋りを文字に起こすだけだとつまらんなあ、と思いながら読んだけども、最後の方で、あんたしか分かってないんちゃうんか、という喩えが出てきて、そこで嬉しかった。自分だけの感覚がごろりと出てくると、その文章を読んだ甲斐があったなあ、よかったなあ、と思える。それが海辺の砂浜ほどの頻度で出てくるから開高健が好きなのである。あとは、気圧のせいにしたいところだが、ぐんぐん人間としての程度が低下して、あまりじたばたできなかった。まだ袋で100円のとうがらしが売っていた。

ラムネ瓶暴徒

晴れていたのに、突然横殴り、というには角度が緩かったけれど、ざらざらと音を立てる雨が突然降り出して、昨日もそんなだった記憶があるが、忙しい(せわしい)天気である。おもむろに、を急にの意味で用いるのは誤用とは多分よく知られた話だが、漢字で書くとどうなるのかを併せて伝えればおもむろを取り巻く状況はおもむろに改善されていくと思うのだが、そういうことはない。徐である。徐行。徐という字面から感じ取るほどバックグラウンドの文字知識がない、となると、それはもうこれだけに留まらない問題になるのだが。有名協会のメンバーでもあるらしいルポライターの書いた文章を読んだのだが、こんなレベルでいいのかよ、と思うくらいのものだった。ずるっずるで読めない、というものではないにしても、細かいところで脱臼、骨折、瑕疵に事欠かない長文で、読んでいてぐったりしてしまった。修辞上の理由でわざとやっていると分かるなら目も瞑りたいところを、これは間違いなく間違っとるな、と判断できてしまうほどに品詞をいい加減にしていて、同じような話を前後の段落でするし、これで金がもらえちゃうのかあ、と思ってしまった。直近で、散文としては極限にかっちりしている谷崎潤一郎の文章を読んでいたものだから、余計にその感が強かったのかもしれない。かしこい肩書きのついた大学教授でさえトンデモ文章を平気で載せるのだから、いちいちケチをつけるまめな人間の数が減っているのではあるまいか。細かいことに拘泥していては物事は進まないが、細かいことをすっ飛ばして物事を進めるのもよくないのだ。キルミーベイベーの13巻を読んだ。ギャグ漫画というよりは、いかにして人間が死ぬかの思考実験みたいになっている、とは今までの感想だが、やっぱりそうだった。なぜこれがあの漫画誌に載っているのか、すごく不思議である。

めげる

部屋の中を何気なく見渡すと、何かしらがそこかしこで崩れかかっている。それは本であったり洗濯物であったりして、それには他ならぬ私自身も含まれるのやもしれぬ。通りがかるたびにうまそうだと思いつつ、並ぶ客足についつい気が引けていたのを、忙しく表を洗う雨のおかげで今日のそれは我慢に足りるほど短く、これを逃しては次はいつあるか分からぬとばかり、ミスドに寄ってさつまいものドーナッツをいくらかばかり買ってきたものである。私はさつまいもとかぼちゃが好きであり、その気持ちの強度については余人にいくらでも譲るところではあるが、近頃は比べること自体がおよそ仕方なく、んなもん手前の気持ちに収めておけばよろしと思うようになって、しかしかくもスプラトゥーンの広告は大きい。さつまいも成分が一番うかがえるそれは、ドーナツの強度が非常にもろもろしていて、やる気のないおからドーナツにも等しく、味は悪くないのだが、形状がなまじポンデリングにそっくりしているだけに、味の強さに見合うだけの食感の強さがなく、肩透かしだった。蜜がかかった大学芋イメージらしいそれは、かかった蜜が大学芋のぱきぱきした感じではなく、ねとりと糸を引くタイプのもので、硬柔入り乱れた食感を期待していた口にまたしても脱力、空振りの念懐かしめた。それで、結局うまかったのはチョコ漬けになってクランチの振られたオールドファッションであり、この前話した人がシンプルなポンデリングと何もかかってないオールドファッションが好きなのを思い出して、まあ思い出しただけなのだが。

谈天

砂絵縛後日怪談が読みたくなって読んだのだが、やはり私は野坂昭如の文章が好きだ。隙があってしかし隙がなくて、パーツ間の繋がりがゆるゆるの、絶妙な構成体のようだ。いちいち声に出して読みたくなる文章である。粘っこくて張り付くような生暖かい空気に抱きしめられて昨晩はよく眠れなかったのだが、台風が近づいているらしい。冗談にならないタイプの台風が。それにしても明日は一応外に出る予定があって、多分天候がよかろうが悪かろうがなくならないタイプの予定であって、行きにしろ帰りにしろ、なんかあったらいやだなあ、と既に思っている。三玉買ってきた梨の、最後に食べたそれだけがやたら美味しくなかった。瑞々しさはあるが甘みがなく、スイカの皮に近い白っぽいところを食べているみたいだった。意識が全方向に発散している。よく眠れなかったせいなのか、とろとろと眠い。タオルケットで寝ればいいのか布団で寝ればいいのか分からん。べちゃっとした空気がまとわりついてくる。エアコンをつけて寝ることになるだろう。

ハンドスチーム

ちょっと暑い日だったような気がする。途中で気絶していたのではっきりとは覚えていない。眠るのとは違う、意識が一コマ後に滑落しているような、崖からすとんと消えたような、青くて灰色の感覚を伴う意識の手放し方がある。これをやるととにかくその後気分が優れない、油の足りない扉を引っ張り続けているようになるのでできるだけやらないようにしているのだが、隠し穴がごとく、忘れた頃にそうなるので如何ともし難い。そして残念なことに、中断を強いられて困るようなこともしていないので、別に構わないのが残念と言えば残念かもしれない。雨が降っている時の音と、建物の壁だか物干し竿だか知らないが、家屋のどこかがおそらく寒暖差で立てる音とはほとんど同じで、今雨が降っている、いるのかもしれないと思う。洗濯物を干していようといまいと。痴人の愛を昨日くらいに読み終わったけれど、文学的な衝撃というか感動というかは感じなかった。あぁ、ここにもまた一人、ちんぽの奴隷がおるな、という感じだった。解説を読んで、そういうことなんかいなと思いはしたが、だからどうというのはなく、一冊の小説以上でも以下でもなかった。

ちゅーや

飯を食いに行った時に大盛りをつい頼みそうになるのは、私の食欲ではなくて、自分が一回の箸運びで食べられる量について実態と感覚で錯誤があるからだと気が付いた。さっきまぜそばを食べながら、これが並盛り、普通の量で、箸でつまみ上げて、これが一回分の口に運べる量で、と計量してみたら、どうあっても大盛りではやり過ぎだった。これ以上の量があったら、腹がいっぱいになるのもあるが、「食べることに飽きてしまう」。あぁ、なるほど、この食い違いが悪者だったわけである。食事の最中に食事に飽きるなよと思うけれども、そうなるのだからどうしようもない。町田康の新書を読んでいるが、ええやんと思った表紙の写真は撮影が荒木経惟になっていた。ははあ、なるほど。写真にはいっそ心得がない身ではあるけれど、かつて部活の顧問だった先生の影響なのか、荒木経惟の写真はどこか惹かれるところがある。一日ぽけーっとしていた。無気力が暴れていて、エネルギーを持っていかれた私は、あぁ、頑張っとるな、無気力が、と眺めてぽけーっとしている。紅茶でも飲もうか。玄米茶もある。やらんとならんと思っていたことを片付けた。10分くらいで終わるのに、何をそんなに渋っていたのか不可解なくらいだった。タスクとはそんなものかもしれないけれど。

寝不番

外を一回も見ない日だった。私はカーテンが大好きかもしれない。この家に越してきて3年くらい実装していなかったとは思えないが、そうかもしれない。バナナを食べよう、バナーナバナナ、バナナ、摘み上げたら、ぱたたた、と何かが落ちた。理性が理解する前に本能が何かしらを察知し、すぐ横の流し台に急いで放り投げた。バナナから、バナナジュースじゃないバナナジュースが分泌されていた。それほど時間が経っていないはずだが、どうも天辺の根本に裂け目が出来て中身が露出し、何かしらの化学反応が促進されたらしかった。バナナが持つ、ガスっぽい、透明でぷんとした匂いがあった。捨てた。幸いリサイクル待ちの食品トレーの上に置いていたので、副次被害はなかったが、食べようと思っていたものが食べられなかった時特有のしょんぼり感はある。やろうと思っていたことをまた忘れていた。私はすぐ忘れる。一人でいるとどこまでも腐る。バナナのように。人間には七穴がある。もっと腐る。どこまでを穴とカウントするかは人による。暑い日だ。このくらいの時節は、夏でも秋でもない。ちゅうぶらりんの、四季にカウントされない木端、あまり、天ぷらを作る時の揚げ玉みたいなものだ。チューリップの花びらがやけに肉厚なことを思い出した。

りんごあめのぱりぱりしたとこ

うまくて、罪悪感ゼロ。とのコピーがついた新メニューがコンビニに出ていたが、そっちから罪悪感と言われなければ、こちらはそもそも何か食べたいものを食べる時に罪悪感なんて感じていないのだから、無駄な感情を押し付けられて迷惑である。普段あなたが食べているそれらは感じて然るべきなんですよ、でもウチのこれは違うんで、よろしくお願いします、ネ、ネ、ネ、という感じで、なんだコイツと思った。私がこの世界についてある程度の権能を得た場合は、とりあえず日本の広告からコピーを没収することから取り組みたいが、あれが感性のいろいろな部分をダメにしている。電車内吊り広告の金麦のコピーも、本当に相容れないなと思った。しなくていいところで反発を覚えているが、この反発を放り出すとやつらに言語感覚をぐずぐずにされると恐れているのでいつまでもやめない。

除菌と殺菌の違い

明治おいしい牛乳を飲んだ。確かにおいしい牛乳だった。この前食った中国料理みたいに劇的爆裂なものではなく、コップを持ちながら、穏やかに、ああ、うまいですね、と認められるような、堅実でしっかりしたおいしい牛乳だった。問題点は、900mlしか入っていないところと、220円くらいしてめちゃくちゃ高い点である。これ一本でしょっぱい低脂肪乳なら2本買えてしまう。おいしいのは確かだ。でも高い。身をすくめて拳を握りしめてしまう感じの、ちょうど庶民生活水準に照らして、牛乳の価格としての高さがある。味はいいのだけど。何回でもこの肯定と但し書きを繰り返しそうなのでやめる。そういえば、中国語の否定接続詞のひとつは但是(dan4shi4)である。但し書きとは、そういうことだったのだろうか。そうかもしれない。痴人の愛を読んでいる。この前仲良くなった人が谷崎を愛読していて、なかでもおすすめだと言っていたし、どこかで読まんならんやろうと考えていた本だったのでちょうどよかった。面白いのだがストレスはある。ストレスとは、私はこういう、何と言うのだろう、放埒な振る舞いみたいなのをずっと見ているとすごく疲れて悲しくなるのだ。私の内側に、強度だけは立派に育った公徳心、道徳律が、これはダメだろう、と囁き続けてきて、それを聞かなかったふりするのが疲れる。話としては面白い。私は、あれだな、これはこれこれこうだ、しかして〜という話の運び方をするのがクセなんだな。減点方式だ。あるいは、関係代名詞節を後から訳すようだと言ってもよいかもしれないけれど。自分で読むのはあまり好きではない類のものだが、自分で書くとそうなるのか。めんどくさいからとりあえず基礎作業だけぱーっとやってしまって、材料が揃うまでそれ以上の作業はせずに放っておく性根が文章に出ている。文章にも出ている。使った後に封をするのを忘れていたから、アルコールティッシュがすっかり揮発してしまって、ただ少し荒いだけの、生地がしっかりしたティッシュを生んでしまった。アルコールティッシュに期待する役割はティッシュには果たせないので、果たせるかな、もうこいつは屑籠行きかと先走ったが、落ち着いて考えてみると、アルコールティッシュティッシュにアルコールが浸ませてあるからアルコールティッシュなのであって、では今のほとんど乾涸びたそれも、再びアルコールを含ませることができればアルコールティッシュと呼べるのではないか。窓際に、アルコールボトルが忘れられているのを思い出した。

スカイタイピング

何か書こうと思っていたのだが、何を考えていたか忘れた。アイディアとはそんなもんだ。もしかして自分は今眠いのではないか、と思ったら急激に眠くなってきた。スーパーカップの抹茶を食べたが、薄くて水っぽくて、アイスを食べている実感はあったが、味わいはなかった。この前ハーゲンダッツのストロベリーチーズケーキを貪り食ったばかりだからかもしれないけれど、にしてもこう、値段とは正直なものであるというべきか。アールグレイを飲んでいるが、イングリッシュブレックファストの方が好きだ。紅茶は中国語では紅茶でそのまんまだが、black teaだし、English Breakfastという名前でも、別に朝飯の時にしか飲まないというわけではないらしいし、所違えば品違い、品以外も諸々違うものだ。しかし、私はこの前、本物の中国料理を食べ、その味に感激し、ついでに語彙も失い、それからやっとジャスミンティーを食べ物として認識することができた。あるいは、ジャスミンティーとはそもそもが、あの味が濃くて油でぬたぬたしている中国料理と食ってこそその正体を表すものだった可能性が十二分にある。それらで塗り込められた厚みの中から、ぼうっと浮き上がってくる味と香りと、それがジャスミンティーだった。でっかいポットに、ものすごい量の湯で淹れて出てくるジャスミンティーが好きだ。飲んでも飲んでもなくならない。食事の時にしこたま水分をがぶ飲みする私が、もうお腹たぷたぷでいらねえなと思うくらいでっかいポットで来たあのレストランは好きだ。

常にめやにが飛んでいる

すごく眠い時は、ずーんとして半透明の緞子が意識に下りている。そこまで重くない、部分麻酔をかけた時もこんな気持ちだったような、そうでもなかったような。やらなければいけないことがあって、それを積み上げているのをよく忘れている。今もそうだった。棚の上に積んであるそれら、さてなんぞ、と思ったら、やらなければいけないことがひとつ眠っていた。別にそこまで急ぐものではないが、鉄は熱いうちに打てな類のものではある。それは早くやった方がいいことなのでは? ジェットコースターの最後の方で写真を撮ったとして、その写真は気持ちが冷めないうちに買った方がいいよね、的なことなのだが。とにかく眠い。陰翳礼讃を読んでいるが、なんかどうにも読んだことがある気がする。他の作家が抜き書きしていたのを読んだのか、はたまたずばりを読んだことがあるのか。まだ多感で盛んだった大学生の長期休みあたりに読んだ可能性がなくもないが、はて、さて。はてとさては分離可能なのか。ブダペストは、元々ブダとペストふたつの町だったらしい。知らないだけで、こういうのはいっぱいあるんだろう。コカコーラも元々コカとコーラだったかもしれないし。や、コカではあるのか。切った指がまだ治らない。ほどほど深めに切ったようだ。

lane road street

色々やった日だった。銀行口座をあれしてあれして、本屋に行って、散髪して靴買ってスーパーで果物などを買った。町田康の読書遍歴エッセイみたいなのが出ていたので買った。町田康は顔にメッセージ性があるというか、おっ、この顔こっち見とるやんけとアピールしてくるので、表紙にでっかく使われていても気にならない。人生で何人か、顔面のメッセージ性が強い人に出会ったが、あの情報量はどこに軸足を置くと計量できるのだろうか。AIに人相を生成させると、瞳のパターンでどうにも非存在人物であると知れるらしいが、人種ごとの傾向生成は既にできるわけだから、顔の情報について、ある程度荷重を分配しているのだろう。目力(めぢから)もそうだが、随意に引き出せるようになってはいるのかね。散髪は、名札に店長の肩書きがある人だった。店内で流れているラジオ、まじでつまらんなと思いながら考え事をしていた。あの番組は普通のことしか言わなくて好かんのだが、行くたびにあれが流れている気がする。金曜日が、私の散髪むらっとデーなのかしら。最初に頭頂を梳いてから切られたので、少しびっくりした。最後の方に梳く人ばかりだったからだが、ハサミを入れてからすぐには落とさなくて、終わってから指ですい、と落として、髪の束がはたはた脱落してくるのは見てて面白かった。あれだけ切ってまだたくさん残っているけど。どうせ履き潰す用のものだし、高いの買ってもしょうがないなと思ったので、3000円程度のよく知らないメーカーのものを買った。デザインはほどほどに好みだが、最後に紐を出す穴の金具について、致命的に色のセンスがない。もっと合わせるべき色があるのではないのかと突き上げたくなるくらいに。赤に緑のワンポイントって必要なの? それはクリスマスカラーではないのか? 靴を買うと防水スプレーのセールスを受ける。これはもう、携帯ショップで契約書に蛍光ペンでしこたまライナーを引かれるような、場所ごとの習慣みたいなものなのだろう。サービス内容への蛍光ペンは絶対いらないと思うが。なぜハイライトするかといえばそこが重要だからで、全部ハイライトしたら意味がない。全部重要なら、それは全部に引かなければいいのだ。それで全部等価だ。ひとつの仮説は、サービス内容の説明漏れがあると契約上まずいので、説明した箇所を可視化するためにあの儀式が行われているというものだが、んなことする前にプラン内容をもっと分かりやすくしろと言いたい。カードの明細を見ていたら、携帯料金がちゃんと落ちていた。カード情報の更新をした覚えが全くない。

無声音の絶叫

包丁で右手の人差し指を切って、ものすごくテンションが下がった。名状し難いほどテンションが下がった。あーあーあーあーあー、と思った。結構深くいったので、急いでインターネットに「止血」と打ち込むくらい取り乱した。恒常的な健康、あるいは疾病のネガに対しての執着はどこから来るのか。薬局に行って絆創膏を買ってこようかな、どうしようかな、と考えて、繊維がくっつかない(と思うがくっつくかもしれない)ようにキッチンペーパーで圧迫しながらうどんを茹でたが、止まったので行かなかった。まだボケている。なかなか治らない。表で変な音がしてやかましかったのでなんだと思ったが、コンクリを混ぜながらなんか色々作業をしていた。隣家は竣工したのではなかったのか。まだなんかあるの? 頭痛い。

oberste

すでに少し帰りたい。あの国は、コックはまああれなのだが、食材はよい。肉にしろ魚にしろ野菜にしろ果物にしろ。外食はアホみたいに高いが。ほどほどのところで妥協しても1500円くらいして、気を抜けば3000円くらいのところがごろごろしている。あれはあれで、経済構造がどうなっているのか分からない。まだちょっとボケているのか、9時くらいにぱたりと倒れて、起きたら16時前だったりした。食って旨かった、感動した中国料理の麺料理、「チャーハンの味がする焼きそば」みたいなのがあって、もう一回食いてえなあ、と思っているのだが、名前が分からないのでまだ辿り着けていない。私は中国料理が一番好きだ。多分甜麺醤を使っているのではないかと推測しているのだけど、それとstirred fried noodleで通じるだろうか。