おはよ~。
今日、確認したので貼っときますね。
小林賢太郎率いるコント集団の、第一回公演が全部公開されてました。
ラーメンズの公演も全部あげてるし、とんでもないことをやりおるな、と思うんですけど。
今んとこ8本観てて、全部面白い。もう、頭の中に何も入れなくていい。
ただただ、「楽しい」があって「面白い」があって「すごい」があって、負の感情が入り込む余地なんてなくなる。一つあるとすれば、「こんなものを作っている人がいるなんて悔しい」だろう。
とにかくありとあらゆるものが入っていて、ごたまぜになって、排他的にならずに昇り詰めている。
小林賢太郎のHPで「爪先の角度一つで演技は変わります」とか、そういう事を読んだことがあるんだけど、ラーメンズ以外の小林賢太郎を初めて観て、この人は筋書きとかその線引きの仕方だけじゃなくて、身体性のセンスも抜群に優れている(鍛えたんだろう)んだなと気が付いた。台詞を発しない演技でも、身振りで手振りで文脈を作り上げている。身体が語るとは、ああいう事なのかもしれない。
僕は父の背中を見て育てなかったが、身体の言語ってああいう事なのかもしれない。
頭の中で言語活動が停滞していて、停滞させないと潰れる僕にはすごく羨ましい事で、こんなもん作れるなんて、本当に、ただただ、悔しいのだ。
そしてやっぱり、音から領域を横断して題材を持ってくるセンスには舌を巻く。
多人数であれを作り上げているわけだ。
編集をやったことがあるから、複数人による作業の長所も短所も分かっている(つもりだ)。
13より1が、2が強いのは大富豪だけだ(他にもあるかもしれない)。
僕も外に出ていかなければ、ああはなれないんだろうか。
どうなんだろう。
すごくいいものを観た。
それだけは間違いない。
2017年後半生きていたのは間違いなく小林賢太郎の言語表現の仕方に出会って多少なりとも出力の仕方を覚えたからだが、まだまだ足りないんだな、と思った。
あと、色んな声を出しているのがすごい羨ましい。私も声帯操作には少なからぬ自信があるので、仮想人格に託して変形した表象を演じたい。さすがに文字でやるには限界がある。
とりあえず、どうするかどうするべきかを考えさせてくれるから、やはり心の祭壇劇場部門は小林賢太郎寡占市場でしばらく大丈夫だと思う。
風呂から上がって、寝たくもないし起きていたくもないし起床したくもないし、というぐるぐるした気持ち悪い真っ白な頭の中で、糸以ちゃんとの会話を2欠片ほど考えた。
とても幸せな気持ちになる。
運命の赤い糸で繭を作って、踏切に投げ捨てたい。
拾ってくれ。
では。