他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

月の磊落

数日ぶりにまともに寝られた。よかったと思う。ずっとうっすら眠いままだったので、通常モードに立ち直った訳ではないと思うが、寝られないのと意識が落ちるのとでは、雲泥の差である。枕有りで寝るか無しで寝るかくらいの違いがある。高枕という言葉があるからである。私は枕が高いと寝られないのでなるべく低くお願いしたい。雲泥の差だと言いたい。日本画だと雲を泥金で書いたりする事もあったように思うが、それじゃあ日本画のコンテクストの中で「雲泥の差」と言った場合、「間一髪」とか「どんぐりの背比べ」とかそういう意味になるのだろうか。一方で他方を描いちゃってるんだものな。実質同じでは? 月ですっぽんを描く事はまずないと思うので(月の石を磨り潰して岩絵具としすっぽんを描いた場合は屁理屈を捏ねる事が可能にならないではない)、そちらを使う方が異論が少なそうである。宇宙実験に用いられる生体として、猿ではなくすっぽんが起用される時代になれば、彼我の距離は狭まるのであろうけれど。お月様みたいな膨れっ面と、すっぽんみたいな亀面を目の前にして、「君たちは月とすっぽんだな」と言いたい気持ちはある。それは事実である。「月とすっぽんズ」というグループ名も悪くないと思う。「雲泥の差」はグループ名にはなれない。月とすっぽんが、まとめて呼称される事を是とするかはまた別の話である。「月でーす」「すっぽんでーす」『二人合わせて』『月とすっぽんズでーす。よろしくお願いしまーす』と、こういう事である。高嶺月子(たかね・つきこ)と水甕甲次(みずがめ・こうじ)のコンビである。意識が雲泥の高さから(そんな言葉はないが、目立った懸隔があるのであろうという旨は了承される言い回しである)落ちる時に、こういう事を別に考えてはいない。昼寝はした。恐ろしく眠かったからである。そのおかげで、待ち合わせに遅れた。他人を差し置いてする昼寝は、恐縮ながら、大変心地の良いものである。元手を溶かしている事を頭では理解しつつも、ギャンブルにつぎ込んでしまう博徒は、その瞬間にこれに似た脳内物質が分泌されているのかもしれない。信頼という通貨を払って、床について束の間の眠りを「いただきます」するわけである。じゅるり。私の弟は、睡眠時に彼の頭部よりデカいヨダレのシミを為すそうだ。合流後、数年ぶりに「遊ぶ」という行為をした気がする。カラオケに行って串焼き(ノンアル)を食っただけだが。無為の時間を無駄だという事は、僕にはできない。ぷちトマトに豚肉を巻いた串焼きが、予想外に美味しかった。試してみればよろしい。浴びるほどお茶を飲んだので、お手洗いが止まらない。にょう、ねゔぁー、すとっぷ。