他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ホルムクルス

書いている現在は新幹線の真っ只中である。真っ只中という形容を交通機関に搭乗している際に用いるのが正しいかどうかは分からないが、面白いので使う。真っ最中でもいい。山手線真っ最中。JAL真っ最中。素敵ではないか? 何が素敵かという元手はない。ただ、隣接するとちぐはぐしそうな言葉が、やってみると案外座りがいい事に満足しているだけだ。只今完全に乗り物酔い申し上げているのだけれど、乗車からずっとPCを開いて短編を書き続けていたからだと思うし間違いない。自業自得の吐き気である。因果は巡る、自己完結した形で。去年の夏に帰省した時も、そういえば、座席で4本くらい短編を書いた覚えがあるので、私は旅路の途上で手持ち無沙汰になると、文章を書きたくなるのかもしれない。下手に暇潰しのアイテムを持って来ていなくてよかった。今や完全にグラブル専用機と成り果てたスマホは、SIMが無効なためオフラインである。隣に誰が座ってこようと構わないので、とにかく(少なくとも私が)面白い会話劇をつらつらと続ける事に注力していた。注いでいたら酩酊、酎したので、目も当てられないが、書き上げた短編はよく出来た。何かを成し遂げる時には何かしらのダメージを伴っている気がするが、よく考えたらごくありふれて普通な気がする。鼻の穴からスイカを出す痛みが、産み落としには伴うのだ。産み落とすと言うと、「落とす」が気にかかり、産むだけ産んで育児放棄かよ、と被害妄想が捗ってしまうけれど、この場合の「落ちる」は、まだ目に見えぬ「生」という胎内の高次の概念が、実体を伴って現出するという過程を指して「落ちる」と言っているのかもしれない。それか、母体からころりとこぼれるような。落ちるからは、「あっ、」という感じがする。落ちちゃった、あらら、まあ、まあまあまあ。そんな感じ。命、この世に誕生しちゃいましたよ、あら、あらら、まあまあまあまあ、はーっ。恣意性を剥ぎ取って、摂理に全てをお任せしているような。お任せしたら、ある日突然玄関口に来てしまった。印を押す、受領署名をする、受け取る一択の選択問題。考えてくださいと。中身の選択権は差し上げますので、じっくりと考えてお決めくださいね。きらっ☆ 華麗なピースを決めて、配達員はどこかへ行ってしまった。to be or not to be, that is the question.ではないが。あらすべきか、あらさざるべきか。神でもない私たちでさえ、「光あれ」とは言えるのだ。光あれ、して照らせ。心の隅っこのあいつらを。