他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ねじれて明るい

人生で、初めてやる事をやる機会というのは、いいのか悪いのか断ずる事ができないが、だんだんと減っていくもののような気がする。冒険心、と言うのか、常に刺激に飢えている人ならばいつでもどこでも新鮮で初体験な刺激が転がっているのかもしれない。私は別に皆が皆刺激に対して貪欲であるべきはないと思っているけれど、というか貪欲では全くない側として自己防衛のためにそう述べなければやっていられないからだが、それでもしかし進歩或いは進化ゼロでは精神的にしんどいものがあるな、とは思う。いくら鼻くそをほじるのが好きでも、四六時中絶え間なく鼻をほじっていては鼻血が出て、それでもなお鼻をほじっているといつか出血多量で死んでしまうと、そういう事を言いたいのである。鼻ほじりは例としてかなり極端に映ってしまうけれど、まあ、ガムを噛むのが好きだからといって、いつまでもいつまでも棺桶の中で灰になるまでガムを噛んでいたいかというと、必ずしもそうではないのと同じだ。少しくらいの変化がなければ、参って滅入って嫌になってしまうだろう。変化がない方がいいとは言いつつも、変化がない事、変化をもたらせない自分とか、変化をもたらしてくれない周りとか、そういうものも嫌になるのではなかろうか。変わり映えしない諸々が映り続けて、目ん玉でもくり抜いてしまいたくなってしまうに違いない。ずっと右足だけ使って歩いていくわけにはいかない。ずっと左足だけ使って歩いていくわけにはいかない。どちらも使って、しかしそれさえも単調にならないように、スキップしたり、不安になっていきなり走り出したり、腹いせに落ちている空き缶を蹴っ飛ばしたり、そういう事をしなければならない、のだろうね。もにょもにょと長々と言ってみたが、結局は、人生で初めてGoogleアンケートフォームとドライブ共有を行ったという報告であった。今までそういうものを流されたことはないではなかったが、「ふーん、そんなんあるんだ。っつっても使う機会がないけどな~」と思うに留まっていたので、いざ運用に移るというのは少しドキドキするものがあった。初めて買ったゲームハードを、恐る恐る説明書を頼りにいじっているような感覚。引っ越して初日の新居で、初めて水栓を捻る時のような感覚。ああ、世の中にはこんな感覚もあったのだなと、思い出すものがあった。そして、これこそ本当にGoogle様様であるけれども、全くの初見であっても、大体こんな感じかなと思ったようにいじくると、およそその思惑に沿って簡単に変形を加える事ができ、直感的な操作を可能にする、というのは恐ろしく凄い事だなと思った。世の中には知らない間に便利なものが腐る程産まれていて、それを便利に思うのは使ってみたいざその時なのだろう。