他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

或る乳製品に見る階級闘争の例

存在感として、プリンのカラメルが丁度いいのではないかと思う。あれがあればプリンだし、かと言ってカラメルの部分がなくてもプリンではある。あの部分をやたら好く人もいれば、苦いと敬遠する人もいる。そうやって強く意識する人は、おそらく一握りで、大半の人は気にも留めていないだろう。カラメルの有無はプリンのアイデンティティに、それほど大きな決定裁量権を及ぼしているわけではないからだ。わざわざ別の皿に引っ繰り返すか、器の底まで掘り下げないと目に見える範囲に現れない事も重要である。どうでもいい人には終生見えないからだ。この態度には、色々良い点も問題点もあるが、人目に触れたい気性の人は、腕っ節を鍛えて、上部の黄色い何と呼ばれているのか分からない部分を押し上げシャバの空気を吸いに行くとよい。そうでもなければ、外界から覗き穴(プリン容器の底についている、「プッチン」するための突起跡を指す。余談だが、海外のプッチンプリン的なプリン達には、折るのではなく引っこ抜くタイプの突起がついている)を設けられない限り、こちらの平穏は安泰だ。こちらはカラメルだが、上の黄色い部分は、私がド阿呆なだけかもしれないが、名前を広く知られていないし正式な名前があるのかどうかも分からない。yellow part of puddingであって、簡潔にサラリと説明できない。お笑いコンビが腐される時に使う、「カラメルとカラメルじゃない方」という説明を持ってくるのが一番分かりやすい。あちらはこちらに存在の基底を握られている気がしてくる。縁の下で力持ちをして貢献している気分になる。だが、プリンの実体を占めるのはやはりその黄色い部分が優勢なわけで、プリンをカースト図だと考えると、黄色い部分が叛逆放棄に立ち上がった場合、或いは単に彼らが足並みを揃えてこちらに向かってきた場合、少数富裕層或いはハブられ者集団である我々カラメルには為す術もない。一瞬で叩きのめされ、カーストが黄土色に染まる事であろう。黄色+茶色=黄土色である。字面の面で、茶色はどこかに行ってしまったが、黄色は残っている。カラメルの負けである。名前も分からない、どこの馬の骨だか分からない(牛の乳と鶏の卵だが)黄色いヤツの勝ちである。それほど危ういバランスの上に、プリンは成り立っている。実際、つつくとすぐにプルプルと忙しなく揺れて、落ち着きがなく安定感がない。その潜在的不調和が笑顔を生むのであるから、世の中は分からないものだ。どうしてこんな事を書いたのかも分からないが。