他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

痛み分けを喜ぶなら、それはマゾヒスティック。

晩御飯にカレーを作りながら、「同じアパートに住む女の子から『いっぱい作り過ぎちゃったからお裾分けですぅ〜』とおこぼれを頂くイベントが起こんないかな」という妄念が頭の中を駆け巡っていた。残念な事に、現在の住居が一軒家なため、そういう事態はどうやっても発生しない。発生しないのである。悔しさに歯噛みしたいところだが、噛み合わせが悪くてできない。ともかく、女の子から「余っちゃって痛むのも捨てるものアレですし食べてください〜」っていうのが、いいな〜と思ったのである。「アレ」とか「〜」とかの言い回しは私の趣味だが。さて、ここでちらりと頭を掠めたのであるが、その(想像上の)少女よ、ありがとう、君の手垢は後々美味しく頂くとして、かような幸運に見舞われた際、「先方からもらって絶妙に嬉しくないメニューだったらどうしよう……」なる危険性がそこには厳然としてあるのだ。なんとなーく、そういう場面のテンプレートを、人生で目にした事がある限りで回想すると、定番のメニューはカレーや肉じゃがである事が非常に多い。むしろ、それ以外のメニューをほとんど目にした覚えがないと言ってもいいくらいかもしれない。「手料理にアヤシイクスリを混ぜて日がな隣のお兄さんにお裾分けして常食させる事で薬物依存に陥れ暴力関係団体の金ヅルに仕立て上げる悪いガール」をフィーチャーしたフィクションがあれば、美味しんぼならずとも毎話毎話メニューを変える必要があるはずなのでそのような単調性は生まれないはずなのだけれど、まあカレーか肉じゃがだろう。カレーか煮物、もはや煮物と単純化してしまってもいいかもしれない。煮物は、いっぱい作るのが簡単、いっぱい作りやすいからだ。(ガチャ)「すいません夜遅くに、ちょっと作り過ぎちゃって……」と言いながらポテトサラダを差し出されると、面食らってしまう気がする。ポテトサラダ? 嬉しいけど、なんで? なんでポテトサラダ? と思いながら食べる事になるだろう。少なくとも私は。魚の煮付けなんかが、結構なボーダーラインかもしれない。一体その子が(想像上の産物ではあるけれども!)どんな容器に入れて持ってくるのかで、今後どう接するべきか変わってしまいそうな気がする。タッパーか? 平皿にラップか? それとも鍋のまま持ってくるか? タッパーなら「それ古いやつだから捨てちゃって大丈夫ですよ〜」と言われる可能性があるが、それ以外の2つなら「後で洗って返します」として再度の邂逅を確約する事ができる。よさそうだ。ドアの前に置いといていいですよ〜と言われたら終わりだが。結局脱線してしまった。もしまだ私の所にサンタクロースが来るのなら、煮物を持った女の子が訪ねてきてくれないだろうか。「メリィ、栗スマス」。栗の煮物かー。