他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ルゥも頭数しか許さない

こくまろカレーは、ブロック1つだと薄い。ちょっとした水止まりだ。なので、2つ入れた。ほとんど溶けた瞬間から、異常な粘り気と加速する焦げが観測できた。1つだと少ない。2つだと、どうやら1人分の分量の水・原材料に対して多すぎるようだ。しかし、ブロック1.3個分などという器用な真似ができるわけでもない。帯に短し襷に長しとはこういう事を言うのだと納得した。腑に落ちる。ご馳走様したわけだし。鍋というか、水煮系の調理で加熱すると手羽元はすぐ硬くなって美味しくないが、カレーみたいな液体それ自体の独立性が強いベースで煮るといい感じの火の通りで仕上がるようだ。今更気が付いた。気がつかなかったのは、カレーを作ると鍋がべったべたになり、洗い物の時にスポンジが1つ臨終を迎えるという事だった。そんなにぽんぽん資材を無駄にしたくないので、湯ですすいでから洗った。こういう時に、立ち上がりの早い優秀なガス機器が備え付けられているのは美点である。沸点だろうか。一瞬で焦げ付きが野原一面に広がるような鍋なので、煮物をすると汁が黒くなる。焦げが浮いてきているのだ。どれほど油を引いても、いやだばだばに油を注げばそういう事がないと言えばないのだが健康的ではないから、かような現象に見舞われるため、欲を言えばその鍋は使いたくない。しかし、利便性の代価とでも言うべきか、なんと今あるIH機器はアルミ鍋が使えない。発火するっぽい。お気に入りの煮物鍋(中小の2サイズある。可愛い)が使えない。「ハッ、諦めな」というブザーがピーピー鳴るだけなのだ。その点、ガスコンロは何でもかけられて便利ではある。掃除が面倒だったりするけれど。また結構な雨が降った。やはり、6月のみならず9月も梅雨なのではないか。9月は長月か。9つ存在する要素が一つもないので、梅雨には点が6つ含まれるから6月が梅雨理論が通じない。雨が降り出す少し前に外出していたので、ばらばらと降り出してのち、軒下で雨宿りしつつ形容し難く困った顔をしたおっさん(そう言えば全員おっさんだった)を大量に目撃した。大変辺鄙な場所で難を逃れようとしているおっさんもおり、雨宿りというのは場所を選り好みしている場合ではない一大事なのだと思われた。ジャケットが濡れればそれは困るかもしれないが、依然皆が皆長袖Yシャツだった。多少の濡れは覚悟して、最寄りのコンビニにでも行けばいいのだろうか。会社に帰って、「傘を持っておらず雨宿りをしていたため遅くなりました」という申告は、どれほど受領されるものなのだろうか。