他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

金科玉条

ゴマドレッシングを略すと、「ゴング」になる事を発見した。特に意味はない。サラダという食事は、胃袋と物量の戦争をもたらすものではないからだ。むしろ、まず食前にサラダを食べる事によって(字義矛盾しているような気がする)腹を膨らませ、総量としての摂取量を抑えるダイエット方法もある。知り合いがやっていたが、いかほどの効果が出るものかは知らない。今、ミスドの美味しいやつであるところの「ゴールデンリング」も略すとゴングになる事に気が付いた。まさかこの2例だけで言い切る蛮行に乗り出すわけではないけれども、両方ともなんとなく、金色というか黄色というか、イエロー系の色味をしている。偶然であろう。世にあるもの全てなべて遍く略せば「ゴング」になるならば、いや考えてメリットの欠片も思い当たりはしないが、それには何か深遠なる、もしくは壮大なる理由があるのだろう。ゴング・セオリーと名付けられたこの仮定は、後の世に大した影響を及ぼさずに忘れられていくに違いない。明日にはきっと覚えていない。すれ違う通行人の顔をいちいち覚えていられないように。そんな事をするのは、そんな事に従事させられるのは、店舗の客足集計システムくらいでいい。それにしても、ほとんど途切れる事がなく、ずるずるだらだらと雨足が遠のく気配がない。この季節の降雨は、おそらく、付き合ったとしても別れる時に異常にもつれるだろう。情が。もう嫌なのに、見たくはないのに、しばらくそこにあったがゆえに、なくなると感じる喪失感みたいなものが確かにあって、遠回しに気がつかないうちに、想起してイメージを上塗りする事を強いられるに違いない。雨に人格を見出すのはどうかしていると思うけれど。でも、たまに「こいつとならいい関係性が築けそうだな」という降り方をする雨に出会う。控えめで降っているのか降っていないのか分からないのに、服には磨り潰した銀箔のような水滴が無数についていて、なるほどこれは降っているのだなと了解されるような、そんな雨に。雨も降りたくて降っているわけではなく、記憶の限りでは「おい、絶対に手を離すな!」「もう、もういいの、大丈夫……私はいいから、あなたは自分を助けて……」「うわぁぁぁぁぁ!!!」と言ったような、もう留まっていられないから下界に落っこってくるぜなメカニズムで我々と面会しているのだったはずだ。わざわざ感動的なドラマを演じてもらったところ申し訳ないが、地上にはこんな顔ぶれしかなくて悪かったな。