他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

惣菜コーナーだけ人口密度が高かった。

やるべき事があるのは幸せな事だと言ってもいいと思うが、やらなければならない事をやらなければならない状況が幸せかどうかはまた別の話なのではないかとも思う。だから、トラックが荷物を積まれている状態は幸せと言う事もできるはずだし、しかしその状態で走る事がトラックに幸せかどうかは分からないという事である。言いたい事が伝わった気が全くしないが、to have what to do と to do what you have to doの間には違う溝があるという事なのだ。日中思いついたものすごく身近とは真逆の話ではあるのだけれど、結婚式や葬式、その他の場面で目にする事のある「芳名帳」なるもの(私自身は直に目にした経験、あるいは目にしたという自覚がない。その手のセレモニィからは程遠い環境にいたがゆえに)、あれは、一体何のためにあるのかさっぱり分からない。筆である必要がよく分からないし、まあ最近はフェルトペンでも書き込めるようにはなってきているようだが、なぜ互いが互いの名前を見えるように書き記し連ねなければならないのか分からない。誰が来ているのか、そんなに気になるのか。お前は祝いに、あるいは悼みに来たのであって、意識が散っているのではないか。祝う集団が、悼む集団が、どのような要素で構成されているのか、重視しなければならないものなのだろうか。出席表みたいなものを作って、そこにお祝儀や香典と一緒に放り込むボックスを用意し、その箱を持った人が会場入り口に立っていれば十分な気がする。集団が行為に参画する儀式では、そうも言っていられない事情とか背景とか歴史とかがあるのかもしれない。最低限遵守するべきエリアと、お好みで有無を選択できるエリアと、分けておきたい。この件に関しては特に何の感情もない。すげぇどうでもいい。それはいいとして。「みるみるうちになくなる」の「みるみる」って何なのだろう。見ている×見ている=めっちゃ見ているという重畳強調なのか、1)私は見ている、2)(あなたも分かるだろう、)見よ、(この事態を)という2つの見るをわざわざ表記しているのか、何なのか。みるみるの近親は「あっという間」であろう。私は見る、そしてその行為をしている自分を知覚している、そんな刹那のうちにも事態は進行しているという事だ。事なのか? それとも「みるみる」というオノマトペなのだろうか。「打ち出の小槌で叩くと、一寸法師はみるみる大きくなって……」「むりむり押し出す」「もろもろ砕ける」とか、そういう事なのか? 分からん。