他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

過日

梨を剥いた。どばどば果汁が出た。どばどばは言い過ぎか。ぽたぽた出た。果汁が滴るだけいい事だと思う。鳥取だかに梨狩り農園があって、なかなかに辺鄙なところに位置してはいるのだけれど、広いは広いし梨は美味しいので記憶に残っている。弁当を持っていくと、梨を食べながらおにぎりやウィンナーを食べるという絶妙な食べ合わせも体験できる。当たり前だが梨は甘いか少し酸っぱいかなので、塩気のあるものを持っていくと釣り合いが取れるはずだ。喉が渇いたら梨の汁で喉を潤せばいいわけだから、無限に循環できると言えなくもない。めちゃくちゃ民家、というかその農家の軒先に受付と居座りスペースがあるため、生活臭が大変に強いのも面白い。何回か行ったが、来園者が多くなってきたのか、途中で大きな桟敷スペースができた。まだやっているのかしら。調べてみると、想像以上に鳥取県には梨狩り農園がたくさんあったため、どれだか分からなかった。場所の名前を覚えるのは苦手なのだ。どうせ2、3しかないだろうと思っていたが、そういえば鳥取県は梨の一大産地のうちのひとつ(変な言い方になった)であった。そこの梨は皮ごと食べても気にならなかったのだが、今日剥いたのは皮がそんなに美味しくなかった。剥くと言えば、病院に入院している際、見舞いに来てくれた人に果物を出す事があるが、その時に「りんごを剥きましたよ」とは言うが「りんごを切りましたよ」とは言わない、ような気がする。頭の中に病室をイメージして、入院者の関係者がフルーツをカットして持って来てくれた場面を想像してみてほしい。「りんご剥きましたよ」と言っているのではないだろうか。「りんご切りましたよ」とは言ってこない、こない気がしまくるのだ。なぜだろう。切っただけじゃなくて、皮も剥きましたよ、私はあなたに食べやすい食べ物を提供するというホスピタリティを発揮しましたよ、来てくれてありがとうございます、ということなのだろうか。分からん。だんだん「りんご切りました」でもよくなってきた。りんごをくるくる回して途切れずに皮を剥く、というアクションが、どういうわけか私の頭の中では一昔前のパフォーマンスとして想起されてしまうのだが、まさかそういう事はあるまい。今も変わらずりんごの皮剥き世界最長記録に挑戦しているチャレンジャーはいるだろうし、家庭科の授業でもりんごの皮の剥き方に熟達するための時間が設けられているはずだ。りんごより梨の方が好きなので、りんごは比較的どうでもいい。