他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

異形の花の前に手折り

胸に手を置くまでもなく、何もしなかった一日だった。生産性という言葉が本当に苦手である。話をずらすと、Macは使用感は抜群にいいが、内蔵の日本語辞書がどうも微妙である。63点くらいの精度で変換してくれる。よく変換をミスる。Windowsはある時期を境にクラウド辞書が入るようになって、それはそれでおかしな事になりはしたが、Macの方は本当に、あと2歩くらい足りない感じで微妙である。孫の手というか、孫の指で届かないような、そんなこそばゆいを一段階不快寄りに寄せたような。ATOKくらいとは言わなくても、単語の並びからどう考えてもその変換にはならないだろ〜という頓珍漢をしばしばやらかしてくるので、いざ本物のふしぎちゃんを相手取ると、こんな心地になるのかもしれない。私は生涯で、「本物の」ふしぎちゃんと実際に邂逅しコンタクトを図った事がないので、確たる手触りに欠ける言にはなる。その皮を被ったゲテモノには幾度かお世話になったが。何かしたいという気持ちさえ湧いて起こらなくなったので、本当にハンガーか何かになった気持ちになる。雨で重くなったゴツいバスタオルを抱えていたせいで、何本かのハンガーは痛ましく変形してしまった。針金の背負った宿命を、その歪な形に感じた。今日はまともに洗濯物を心置き無く干してもいい日だった。多分乾いていると思う。触って確かめるのが怖いのでなんとなくほっぽったままにしているけれど。スーパーに行ったら、ニンニクの芽を売っていた。30センチもないくらいに切り揃えられ、いっぱい入ってパッケージににんにくの芽と大書してある。遠目に見ると鉛筆みたいだ。今まで意識してニンニクの芽を買った事はなかったのだが、一つのパターンとしてこういう売られ方をしているのだな、という勉強にはなった。それにしても大量に入っているので、三分の一を食べる前に飽きるだろう。キクラゲと一緒で、それ単体を貪り食うような食材ではないと思う。好きな人はそりゃあ、それ単体でも食べまくるのだろうが、あくまで数多ある食材のうちの一つとしての認識を出ないそれに対しては、ほどほどに付き合ってさっさと忘れたいというスレた恋愛観みたいな感情しか抱けない。アラが安かったので、鯛の煮付けを作って、箸をつける直前になって思い出した。鯛は事前に鱗を取らないと、汁気の中を泳ぎ回って舌触りが最悪になるのであった。完全に忘れていた。案の定、とんでもない邪魔者として食事を阻害してきた。またの機会には思い出すようにしたい。