他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

売切御免を赦すか否か

完全なる気まぐれで、放置していた『エロマンガ表現史』を読み始めた。面白い事は面白いのだが、冒頭2ページあたりでいきなり特大の脱字をかまし、ところどころ致命的あるいは致死的な日本語の不備、そして散見される誤字がエレクトリカルパレードなので、早くも読む気が削がれている。まともなプロセスを経て生産されれば絶対面白いテーマなのだが(私がエロ漫画大好きなので肩を持ちたい気持ちももちろんあるけれど)、どうも、こう、テーマありきで出版まで駆け抜けた本というか、とりあえずゴールテープは切りましたので世に出ました、みたいな感じを受ける。どうやっても発見したい誤字が特にひどいと思っていて、太田出版の校正部(存在の有無を知らないが)は大丈夫なのか、編集は本当に大丈夫なのか、そして著者はこれでいいのかという雑念がふつふつと湧いて来てやまないので、そっと脇に置いた。コンテンツの発信においては、プレゼンの仕方も考えたいと思った。いつも思っている。改善案がさっぱり浮かばないものがひとつ頭の中でもやもやしていて、煩瑣に紛れて考えるのを忘れている。朝から夕まで、ほぼ私が得るものは何もなかった、しかし駆り出された労働責務を果たした。日給は1万円と昼食だった。拘束時間が8時間だったので、まあそんなものかなと油断すると同じような要件で呼び出される可能性マシマシなので、断るべきは断っていきたいがしかし、断るに足るほどの用事が入らないし入る蛇口も持たない用事弱者であるから、お茶汲みに行って来てと言われれば他に大した仕事もないのでお茶を汲みに行く給仕係みたいな事になっている。見舞われると、一瞬だけ用事が欲しいな〜と思うが、一人で何かをしている時間(何もしていなくてもいいが)、部屋で一人きりでしーんと静まり返った中で存在しているのがあまりにも心地よいので、これに比べれば全ての用事など無に等しいと思う。美味しくないものを美味しいと感じるようになるまで美味しくないものを食べるくらいなら、その時間美味しいものを食べていた方が幸せなんじゃないか? 金をかける価値がないと思うものに価値を見出すまで支出を重ねるより、今価値を見出しているものにじゃぶじゃぶ金を使った方が幸せなんじゃないか? 先見性というのか、投資的、投機的才能というのか、その辺の思考に対してどうも納得がいかない時にこうしてぐるぐる考えているのだが、結局納得しないまま、「まあそう考える人がいてもいいんじゃないですか?」と優しく、あるいは無関心に捨て置いて終わる。