他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

種子は世代を重ねるから重って入ってるの?

玉ねぎ人参手羽元を適当に水煮して、最後にものすごくいい加減に味噌を溶いて豆腐を砕いただけなのにかなり美味しかった。普段それなりに考えて調味している過程が馬鹿らしく思える程度にはまとまっていた。日本的食生活の中で生育したため、味覚に味噌がストライクである可能性はゼロではなく捨てきれないのは事実であるが、それにしても普段はなんなんだと言いたくなるほどには美味しかった。作為の努力より無作為の天才が優れていると諭されているようではないか。被害妄想だが。日中思いついたことをとりあえず2つ消化する。面白みと面白さは違う事なのだろうなと考えた。面白みは言うなれば面白さに至る前の種子であり、というか面白さがそこから発芽し開花していくのではないかと高い確率で思わせる種子であり、必ずしも面白さを結実させるとは限らない。それを肯定的に認知した上で見ている人触っている人植えている人がこれは面白さが咲きますわようふふふふと1パーセント程度でも思わせるのであれば、それには確かに面白みがある。それが結局面白さをもたらす結果になるのかどうかは別のプロセスを経ないとならないのだけれど、しかし面白さを産む前の多大な屍として、面白みがあったりなかったり咲いたり腐ったりしているのだろうなと思った。面白みは「面白味」なので、個々人によっては味わいが違い、深みが違い、そもそも味がするかどうかから疑ってかからなければならない。それに醤油をかけるのか、ソースをかけるのか、フランベして香草を添えて出せばいいのか、いやもういっそ踊り食いしてしまった方がいいのか、一概には決めてしまえない。最大公約数的な、ちょっと美味いレトルトカレーにまとめるのか、素数みたいにピーキーなキワモノとして確かに成立させるのか、出す方蒔く方は考えなければいけない。花壇を見ている方が何をすればいいのかと言えば、よく分からんが、雨乞いの儀式でもしていればいいんじゃなかろうか。エロ漫画にあんまりピアスが出てこない気がしたのだが、それは耳舐めの際に邪魔になるからではないかと思った。邪魔になるんじゃないか、と言っておきながら、よくよく考えてみるまでもなく、あんまりエロ漫画で耳舐めを見た事がない。私が好んで読む範囲に限っては、登場人物に(触手に付いているわけはない(?)ので)ピアスがつけられている事は少ないと言うか、僅少と言うか、ほぼゼロである。デジタル同人コンテンツ売上ではあれだけ音声がのさばっているくせに、なぜ漫画には耳舐めがいないのだろう。不思議だ。