他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

BOWS AND BOXESをくれると言っていたけれど

職業病と言うが、人間として生きようとしていれば、生きていて罹患する限りの全ての疾病が職業病なのではないかと思った。携帯のメモ帳にぽちぽち打ち込んでいる間、向かいのホームに滑り込んできた電車内の乗客と目が合った。人間の知覚器官が優れているのかはたまたその逆なのかは分からないけれど、湘南新宿ラインみたいな相当のスピードで走る電車も、すれ違う時に対向車の乗客と目がほんの一瞬だけではあるが交錯する事がある。その視線、目配せには何の意味もなくて、多分あの目線には空虚が蔓延している。物理的な、科学的な真空ではなくて、心情的な真空が、電車の窓ガラスを貫通して投射されている。遠くのアパートに干された女性用下着めがけて刮目しているとかでもない限り、そうだと思う。日が暮れるのが冗談でなく本当につるべ落としと言っても良い程度に急になってきて、まだこの時間は明るかった気がするのになと思いながら帰っていると、クリスマスシーズンが近づいて来ると、どういうわけかにょきにょきと湧いて出るイルミネーションカーテンが敷設された家を発見した。夏にやるグリーンカーテンをそのまま電飾に置き換えれば私が言いたい情景になる。どういうわけか、あれをやる家は矩形の上にそれより小さい矩形が重なった箱型ホワイトハウスに多い気がする。あのおうちタイプをうまく言語で表現するのが難しいので、東村アキコ『メロポンだし!』で主人公が住んでいるような家と具体例を挙げる事で勘弁してやる。マイナーな具体例を挙げてしまった。何と言えば良いのだろう、1階は普通の家みたいなのだが、2階部分だけ学校の屋上みたいなと言うか……。こういう時に絵が描ければ、視覚的情報は言語情報の数倍数十倍数百倍の情報量を詰め込めるから、下手に言葉を尽くさなくてもよいのだが、しかしその不自由さを逆手にとって縛りプレイエンタテインメントとして楽しむようなのもいるという事である。ファストフードのコラボメニューで、なぜかオレオが破砕されて投入されているものが多いように思う。外食でばかりオレオに触れていると、オレオはそれ単体で食べるものではなくてむしろ他のものとの兼ね合わせで食べるもの、ふりかけみたいなものだと脳が間違って覚えてしまうんじゃないかと危惧している。そこまで脳はアホではないか。ファストフードがオレオに協力を仰ぐのは大いに結構なのだが、眼鏡屋が異世界転生ラノベとコラボしたり牛丼屋があれとコラボしたりと、偉い人が「若者はこういうのが好きらしい」という一面的一方的な認知しか持っていないんだろうなと思ってしまうタイプの、後塵を拝すコラボはどうにかならんもんかと発見するたびに複雑である。