他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

乾いた粘土

人の成長はガムテープみたいなものなのかもしれない。最初のうちはどこもかしこもべたべたくっつくが、埃がついて糊の面が段々と少なくなっていき、埃ですっかり覆われてしまい何もくっつかなくなった部分は固着して、おやおやこのテープはもう使えないのかもしれないと不便さに囁かれ、使わなく使いたくなくなってポイしてしまう。できるだけ隅々までべったり埃を付けて、ガムテープの台紙しか残らないほどに与えられたものを蕩尽すればなにか別の世界が見えてきて、まだ根本から引き出せる分が余っているじゃないか、それどころかこれは両面テープでもう片面がまたびっしり使えるぞと発見してしまうかもしれない。ガムテープから布テープにクラスアップするかもしれないし、埃を吸い込む掃除機にグレードアップして効率や仕事の質がコペルでニクス的な展開を迎えるかもしれないのである。今手に巻いているテープでそこの角の埃は浚えるのか、それとも広い面積を浅く拾うのがいいのか。両刀使いはできないか、足に巻いても実はそんなに支障なくて、パフォーマンス4倍さえ狙えるのではないか。手がベタベタするのでこんな事を考えてしまったのかもしれない。さっき豚骨ラーメンを食ってきたからだ。バイト経験のあるラーメン屋も豚骨ラーメンではあるのだが、それよりも脂の主張が強く、タレの調味よりもラーメン全体としての一体性を感じた。にんにくをいっぱい入れたはずなのにそこまで強烈に感覚に訴求してこず、私のにんにく感知レーダーが相当程度やられてしまったものと窺える。なんでラーメンを食ってきたのかといえば、同窓会に出てみたもののまともに腹が膨れず食欲が消化不良だったからである。正直行こうなんて考えていなかったのだが、直前で「こういうイベントのフラグをことごとく折ってきたが故の今の生涯なのではないか」と根拠不明の一念発起をし、市街地に足を運んだとまあそういうわけである。結果として会費相当のリワードが得られたとは言い難いが、ある人物の生死並びに現状を仄聞できただけでもめっけもんだろう。生きているし社会復帰したらしい。よかった。今度是非に機会を設けてあいまみえたいと切に思う。生きていたらしいので。一緒にミスタードーナツをしよう。忌憚のない冗談でチャンバラをしよう。ある国語の先生が、人の大体は18までに決まってしまうものであって、劇的に変わってしまう事なんてないのだと言っていたのを思い出した。突っ掛かるままに放言を繰り返していたら、お前は変わらないなと言われてしまった。言動が懐かしいと。あの頃から、何か変わっただろうか。鬼のようにウーロン茶を飲んだので、今はただ、お手洗いに行きたい。