ポットパイみたいな、傍目から見るとただパイがこんがり焼きあがっているだけだが、実際天井をバリバリと破って中身を見てみるとグツグツ煮え滾っているような、水面下というか氷面下で事態がじわじわ動いているみたいな、それをポーカーフェイスと言うのかもしれないと思わなかった。ポットパイって、中身が熱いよな、というだけの事を思った。そんなに親しむほど食べていない。食べた事がない。人生のポットパイEXPを計上してみると、片手で足りてしまって、残りの指は鼻でもほじってろという事になりかねないくらいポットパイとは縁遠い人生を送ってきた。それが至って普通かもしれない。めちゃくちゃ普通に思えてきた。小さい頃に、モスバーガーらしき店舗でポットパイの広告が出ているのを素敵に思ったような記憶がうっすらとある。子供心に、きっと、てっぺんのパイ生地を破って中の何か(ポットパイの中身って何て言うの? フィリング?)をほじくるのが、宝探しみたいで楽しそうだと考えていたのだろう。覚えてないから分からないけれど。イライラしたので秋葉原に行っていっぱい薄い本を買ってきたのだが、途上でホームレスが今夜の寝床をしつらえているのを見た。脂が染み切って飴色になったダンボールをせっせと仕込んでいて、「哀切惨憺たるものありやホームレス」とこの字面通りの感想を抱いた。頭の中と字面への出力はほぼ同義である。ホームレスの生命活動の一片を見ると、私なんかよりよっぽど頑張ってしぶとく生きているわけだし、非常に自分がしょぼく見えるのであの瞬間は好きである。帰る時に何かをもそもそ食べていたけれど、彼らの糧と糧を買うための足はどこから来ているのだろう。世の中がどう回っているのか、さっぱり知らない。金曜の夕方だと言うのに、あるいはそれとも、金曜の夕方だからか、書店の売り場にはそれはもうたくさんの人間がいた。もしかして日本の経済の結構な割合がここで回っているんじゃないのかと、薄い本を買いに行くたびに考えているが、業界別GDP的なアレとかを詳しく見た事がないので妄言に過ぎないかもしれない。スーツの上にコートを着たごく普通のサラリーマンとか、上司と連れ立って薄い本を買いに来ているサラリーマンがいて、そんなに堂々と同じ共同体の輪の中に属する人と微笑ましくえっちな本なんて買えないよ、と思ったのだが、意外とそんな事はないのだろうか。帰る時に、久しぶりに、サンプルではないナマモノの食品サンプルを見た。