他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ぐちゃぐちゃに潰しきった豆腐が滝のように頭上から流れてきても怖い

私が豆腐に生まれ変わるとしたら、焼き豆腐にはなりたくないと思う。鍋焼きうどんとか、粘り気のある汁と野菜の中にうずもっているイメージのある、茶色く頬を焦がした焼き豆腐にはなりたくないと思う。木綿豆腐なのでもともとの素肌における肌理が大した事はなく、その点では悪化創傷について嘆かわしく思うべきポイントは少ないのだけれど、剥き出しのかさぶたみたいなあの焼け跡を考えると、ひえっと怯えたような心持ちになる。フライパンで焼き豆腐をしてもああはならない。鍋の中で、黒ずんだ傷跡を見せびらかすお豆腐になると考えると、なんだか背筋を冷たい絹ごしどうふがぬらっと滑り落ちていくような感覚がある。お化け屋敷でこんにゃくを竿の先に取り付け、アトラクション観客の頬に接触させ驚かせるのは古典的手法だが、もし豆腐を損壊の可能性なくしてあのようなびっくりアイテムとして起用できると考えた場合に、絹ごしと木綿どちらの豆腐の方がより恐怖、あるいは生理的不快感を生じさせる事ができるだろうか。厚揚げをこの候補の中に立ててみても面白い。他のふたつは水でしっとりしているだけであるが、厚揚げは夜間で油抜きをしない限りねったりと皮膚に染み込んでくる、鈍い虹色の油膜を存分に展開している。ねたぁっ、と頬に張り付いて、やだなにこれ、と咄嗟にやった手に再びねたぁっ、と気色の悪い粘りがこびりつく。暗闇の中で視覚的情報が乏しい状況でそんな事をされたら、もしかして脂ぎったおっさんの生首に頬ずりされたのではないかとあらぬ可能性まで脳味噌が妄想を逞しくし、回答の正誤の程度は暗闇の不親切さの中で些細な問題と化していく。もしかすると、もう一度おっさんの生首がとろける脂を浮かべてこちらに接近してくるかもしれないのである。油揚げに比べると、こんにゃくも豆腐も、水分をゆたかに湛えて通り過ぎるだけで、後に残る圧倒的な不快感が少ない。高級ではない、プラスチック包装の上からでも容易にうかがえる、海上重油みたいに、しゃぼん玉の表面みたいに非現実的な色を写すあの脂をまとっているから、油揚げは恐ろしいのである。嫌いなやつの上履きに油揚げを仕込むやつがいれば、そいつは相当な嫌がらせのプロである。しっかりと浸透し、一歩一歩歩くたびに、頭の中では中敷からじくじくと滲み出し靴下を汚損する油揚げのイメージを想起させ、歩く事に対する拒絶しようのない嫌悪感を抱かせるだろう。