他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

歩いているうちに片足だけ擦り切れていく

「鯛みそ」という、それ以上の情報が得られないに等しい缶詰を買っていた。魚肉ソーセージを包装しているビニルのオレンジをさらに煮詰めたような、鼻をつまみたくなるような強烈な色をしている。ご飯のお供を開拓しようと買ってきたはいいものの、あまりにも得体が知れなさすぎるために、しばらく流し下に収容されたままだった。色んなサイクルが噛み合い、昨日開封した。一目見た時にはピンと来なかったが、今日の朝ご飯にのっけようとして思い出した。西京味噌みたいな色をしている。どろっとしている割にほとんど粘りがなく、すくい取ろうとするとくずおれるように千切れる。独特の強烈な匂いがすごい。食べた。西京味噌のしょっぱい部分だけが暴力的に凝縮された、べったりとした味噌の味がした。ただの味噌じゃないのかと考え、缶詰横の成分表示を検めてみると、「鯛そぼろ」の項が立っている。半透明の黄土色にじっと目を凝らして、鯛そぼろと呼称されているところの具体的な固形物を探してみる。ところどころに、それらしい白い粒子みたいなものを見出したと自分を納得させる事も不可能ではない塵のような白があったが、何回味噌を口に運んでみても、塩分で味蕾が泣きべそをかきながら敗走の白旗を遠のかせていく以外に得られるものはなかった。味噌の砂漠の中で、鯛はどこにも立っていなかった。もんのすごく珍しく、一ヶ月くらい前から入っている予定があったので、複数人と一堂に会した。以前面倒を見る事のあった人たちであり、当時以降も各人なりに生をエンジョイしているようだった。明色の中に置かれたどっちつかずの弱々しい灰色は、こんな気分なのかなと思った。集まった場所のご飯が安くて美味しかった。千円かからずに2品食べた。いかに何と言われようと、コスパという概念を一度知ってしまった以上、人生から二度と切り離される事はないだろう。一人だけ、どうしても言語野から相互理解が極めて困難な人がいて、なるほど確かに価値観が異なる人と接するのは刺激的な事だそれは間違いないと思ったのだけれど、両者の間にぽっかりと口を開けているその溝がどれだけ広いのか、測ってから足を踏み入れないと、どこまでも続く代わり映えのしない断面の走馬灯を見せられて、頭が変になりそうである。第三者の介在もあり、決定的な疎通不可という事態には陥らずに済んだが、相互を含まない集合の交歓がここまで難しいとは、今まで考えもしなかった。本当に、色んな人がいるもんである。