他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

廃棄食品ゴミの中から食べられる部分をスコップで掘り出す仕事がある

どちゃどちゃと人が行き交う往来で、ティッシュ配りがコンタクトのクーポンを配っていた。配っているのは通りがかるたびに目にしているので、それは間違いなく事実として知ってはいるのだけれど、そういえば、あの中身というかおまけが(むしろそちらが本体だろうが)実際のところは一体何なのか、もらった事がないから分からない。お得なクーポン券配布してまーすと言いながら配っているので、まさか大嘘ぶっこきながらティッシュを配っているとは思えない。多分本当にクーポン券が入っているのだろう。どんなクーポン券なのかは知らない。そのティッシュ兼クーポン配りの人が、ついついと人通りの動線から外れ、道端に移動した。体調が悪くなってうずくまるわけでもなさそうだし、どうしたのだろうと思って注視していると、懐からもぞもぞとペットボトルの水を取り出して飲み始めた。別に、配っているストリートのど真ん中でストリート給水を見せつけてやればいいではないかと思ったのだが、通行の邪魔にならないようそうしていた。ただでさえ99パーセントの通行人に無視されて、相手にされず、メンタルが少なからずささくれだっているだろうに、普通の生命活動さえ道の真ん中で堂々としてはいけないのかと悲しくなった。生命活動の瞬間は、単なる路上の障害物に成り果てるようだ。夜の変な時間を越えると、信号待ちの車がさっぱりいなくなる区画があり、瞬間がある。特段綺麗でも汚くもない、のっぺりとざらざらの中間みたいなアスファルトの表面がずうっと通りの向こうまで続いていって、ビルの白い光につやつやしているのを見ると、あまりの茫漠さに何かの気持ちを抱く。名前をつけるのが難しいが、その光景を、布団の背骨をぎゅっと折りにかかるように、抱きしめられたらなと思う。味も匂いもなく、伴って漂う要素がひとつもないからっぽな景色がそこにあって、寝転がって朝まで過ごしても風邪を引かないのではないかと思ってしまう。たまに見る、密度の隙間を目撃した。脇で話を聞いているだけで、いろんな人がいろんな事をしていろんな事が起こっているものだと思う。視力とか聴力とか、そんなたかが知れているものの索敵範囲外には、ぞろぞろと事物が生起していて、それが巡り巡って害を為したり何もしないまま、感知しないままに消えていっているらしいのだ。伝え聞いた話が、伝達者の豊かな妄想によるものであれば、と願ってやまないのだが、現実の豊穣とその物量の前にひざまずくしかない。