他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

イングリッシュマフィンが綺麗に割れない時の苛立ちは割り箸のそれと同じ

壺漬けカルビという言葉には、魔が宿っている。壺漬けカルビと聞くだけで、心の中が涎で湿気るのが分かる。焼肉が好きなのではなく、わざわざ壺に漬ける工程を経て調味するその手間暇に涎が出る。パックから菜箸で肉をつまみ、フライパンにぽとぽと落としていく作業とは違うのだ。壺の中に肉を入れ、きっと秘伝で門外不出、代々継ぎ足されてきた歴史と伝統あるタレを流し込み、もみもみしてしばらく置いておく。ここまで書いて、壺漬けカルビを食べた実感のある記憶がない事に気が付くが、おそらく壺漬けカルビの作り方はこんな感じだろう。プロセスまで門外不出で一子相伝だったら、安いバイキング形式の店に「濃厚味噌壺漬けカルビ」のようなメニューが採用されるはずないからである。内密にしてこしょこしょ耳打ちしなければいけないような情報は、タレの配合と肉の下拵えの仕方くらいだろう。もしかすると「どういう土・焼き方の壺がいいのか」「壺の内側にあらかじめ塗っておくべき調味料は何か」というこだわりまで存在するかもしれないが、その辺は壺漬けカルビを扱ったグルメ系新書に譲りたい。図書館でホコリを被ってカビで真っ茶色になって、カバーが擦り切れ背表紙がテープで補強されているような古い新書のタイトルを見ると、現今本屋に並んでいる新書タイトルのなんと軟派な事よと思うが、新書というものの立ち位置が時流とともに変化しているのだと考えて胸を収めているが、「しかし、なあ……?」と思う事もある。古い岩波新書は面白い。買って来たはいいものの、消費ペースと暦の進むスピードが釣り合わず、あえなく牛肉が残ってしまい、明日には変色を始めドリッピングから異臭がせんという段階になったので、頭の中に閃いた壺漬けカルビというイメージに則り、口径が広めのマグカップに肉を入れ、醤油料理酒味醂砂糖を長年の自炊経験に基づいて適当に投入した。同じ調味液を作ってゆで卵を入れておくと、味玉ができる。醤油の塩分にすがって、肉が痛むのを堰き止めようという決死の抵抗だった。「漬け」という言葉の持つ重みを無視するわけにはいかず、3日ほど冷蔵庫の中で安置した。今朝、マグカップを取り出して中を覗き込むと、ひたひただったはずの調味液が全て肉に吸われ、肉の威容が少し膨らんでいた。さっき弱火で焼いた。非の打ち所なく美味しかった。柔らかいし、味が染みている。焼いているうちに滲み出してくる調味液が、一緒に炒めている野菜に味をつけてくれていた。期限が迫って肉の処理に困ったら、向こうしばらくは漬けてみたいと思う。私が食べ物の話ばかりするのは、食べ物くらいしか日常で変化のある局面がないからである。