他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

何にも効かない湯があってもいいじゃないか

必要に執拗に迫られて駆られて英語を話す事があるが、それはもう頭がぐいんぐいんフル回転している感覚がある。フル回転しているという事は、第三者陪審員の機能を果たす脳味噌のメモリが余されていないという事に他ならず、総力を挙げた割にそうでもないしょっぱい発話に終わる事が多い。ただでさえ他人との話のネタがないのに、相手はほぼほぼ全く異なる文化圏から来た異邦人である。いくらインターネットが世界を繋ごうが、いくら物流で世界が繋がろうが、肉体的な直接の世界で人間の精神は構築されていくのである。見渡せば石、石、石造りの国と、もうよく分からんコンプレックスの国とではそれはもう違う。話す事ねえ〜〜〜。共通の話題も広げられねえ〜〜〜。私は誰といようが無言で平気なのだが、これは交話に大した重きを置いていない阿呆だから平気なのであって、空気が平板で何もないのを向こうが気にしているのが感じられて非常にやるせない。そこに商品があって、買った方がいいのは分かるのだが、額が足りないしそもそも通貨が違うみたいな感覚がある。一応こちらの伝えたい事は伝わっているが、それまさに「疎通」であり、疎にしか通ってないな〜〜〜と思う。全然密通じゃない。密通だと意味が変わるが、全然密に通ってない。温泉を掘るのがヘタクソなのだろうか。せっかく間欠泉を提供してくれるのに、スコップを一発当てるとすぐに枯れる。石油王には絶対なれない。まさにラーメンズのあれ、ごめんねー、僕、ヘタなんだ、おしゃべりが。なんか、スクールとかってあんのかな? である。温泉当てたいね。夜はまだ寒いままだし。カラオケのドリンクサーバーから出てくるコーンポタージュみたいな人間にはなりたくない。そうだな、温泉行きたいな。湯に浸かって、まあまあのご飯食べて、18時くらいに就寝して、7時に起きて、窓に傾く朝日をぼけーっと眺めていたい。1週間くらいそうしていたら、特に何が変わるでもなく、澱が沈着して帰ってくるだけだと思うが、なんにも考えずただ生きているだけでいい時間というのは、価値がないゆえに私は楽しかった。楽しかったというか、頭の中に埃が溜まらない、廃墟だけをお花畑に移築したような歪な隙間が、楽だった。どこでもドアは、行動力ある、色々なところに行ってみたい欲求のある人よりも、行動力のない私みたいなナメクジに価値があるのではないだろうか。たまの気まぐれ、ドアノブの静電気で、エンジンを駆動させなければならない、そういう人に。