下書きに使うメモ機能に不要な残存物が増えていたので、データを削除したり不要フォルダに移動したりしていた。今から見返すとよく分からないメモもそれなりにあった。で、今年の元旦に書いた日記の生データが底の方に埋まっていた。全く意識していない状態で目の前にポップアップされるとびっくりする。日付を見てももはや私が経験した日時だとは思えず、もしかしたらパラレルワールドから挿入された異質物なのかもしれない。その中に、「引いたおみくじがすごい境遇に沿っていて嫌だわ〜」という事が書いてあった。岐路に立たざるを得ない状況になるやろうな、と。今財布の隠しポケットから引きずり出して読んでみたら、おそらく当時と同じ心境になったので嫌だな〜と思った。卜占とは受け取る側次第のほわほわした事しか書いていない伝えないと言い切れるようなサイエンティフィック・マインドがあればよかったのだが、私はそこまで精神的に割り切れていないので、居心地の悪い事をまざまざと思い出してしまってとても居心地が悪い。少なくとも、時運潮流にどんぶらこされた末に来年度以降の人生が全く未定になってしまった身にこんな処方箋は含むところがありすぎる。海外通販番組のびっくりスポンジくらい含むところがありすぎる。含蓄の大海が絞り出して余りある。でも四半年その存在をすっぽり忘れていたわけだから、明後日くらいにはまたさっぱり忘れて時の流れにさようならしているかもしれない。買ったはいいが読んでいなかった3つを消化した。いつの間にか、「やるぞー」ではなく「やるぞやるぞやるぞ、よいしょーっ!!!」くらいの助走と勢いとその場のノリがないとそういう事ができなくなってしまった。ルーチンを何も考えず無感情で回す、それくらいスタート時のカロリー消費がゼロだと嬉しいのだが、いわば「魔が差した」「むしゃくしゃしてやった」レベルの突発的間欠泉的気まぐれに従わなければ心と体が動かなくなっている。心が枯れているのではないかと恐々しているはずだけれど、心が枯れているのでもうほぼ何も感じない。自家中毒の麻酔かあるいはモルヒネが効き過ぎている。「まだ合法のキマるクスリをオーバードーズしようぜ!」と軽いノリで誘ってきた知人がいたが、もうそれくらいの事をしないと心停止は治らないかもしれない。AEDは万能ではないが、きっかけがあるとないとでは天と地ほど違うのだから。切っ掛けと書く人はあまり好きじゃない。