他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

顔色のカラーパレットを作らないと機微など読めない

さっきおにぎりを食べた。私の握り拳よりもでかいバクダンおにぎりだったので、例えるならパワプロくんやボンバーマンの手足が丸いそれと似たような感じなのだが、食べ進めて少しもしない間に上品な味のツナマヨが出てきたので、ツナマヨが嫌いな人はマヨが嫌いな人かツナが嫌いな人のどちらかしかいなくて私はどちらも好きだから、おっこのでかいおにぎり全部ツナマヨなんやんけめっけもんめっけもんと喜んでいると、じきに鮭の切身みたいなフレークが顔を出してきて、おっなんや山賊むすびだったんけええやないかと喜んだのもつかの間、ツナマヨと鮭という分かりやすいおにぎりの具がたちまち途絶え、よく分からない昆布の類が後に残って、まったく別の方向から食べ進めればよかったと強い自責の念に囚われた。一万円、五千円、千円の順にもらうよりも、千円、五千円、一万円の順でもらった方が嬉しいのだ。総額が同じとかそんな野暮極まりない事は言わず、主観的な感情をここでは優先してほしい。総体から切り離す大きさの並びが順か逆かというだけの話だが、だんだん大きくなった方が、よくない? メールではできるだけ絵文字を使わず、プレーンなテキストを送りつけるように強く厳しく自分に言い聞かせて縛り付けているのだけれど、母に送るメールにおいてだけはそのルールを破り、できるだけ文脈に関係ない絵文字をたまに盛り込むようにしている。今日は「ありがとうございます〜」の後に、左右のハサミを交互に上げ下げするカニの絵文字を文末に添えておいた。かわいかったので、使いたくなったのである。絵文字という文化にさっぱり浸らずに来てしまったが、私がどの絵文字がいいかなと選定している今この時代はスタンプの時代だった。ビジネス用のラインが存在し、上司にさえスタンプを送れるそうである。礼を失しているか失していないかとかそういう問題ではなく、ある程度の階級意識というか身分意識というか、上の人は上の人であって、こちらも引き締まって当たらねばならないとの自覚を持たないと偉い人となんて向かい合っていられないので、目上にスタンプなんて死んでも送れない気がする。気後れする。どうしても、もっと部署みんなで打ち解けたいんだよ〜頼むよ〜みたいな嘆願をされたら、しぶしぶ「伊達巻」のスタンプをどこかから探してきて放り込むだろう。文脈に関係ないものなら、どうすればいいのか彼我共に分からず、要請通りスタンプを送ったという事実だけが残るからだ。もっと考えなしに動けるといいような、そうでないような。