他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

変に欲を出す方が生き物らしくてよろしい

午後のどこか2時間くらいを割いて目的地を決めず彷徨しようと思っていたのに、目覚めしな雨の音がしていたのでしょんぼりした。貝割れ大根の発育を見る自由研究で、どうなるのかと興味を抱いて最後に日光に当ててみた覚えがあって、しかしその結果が微塵も記憶野に残っていないのだが、黄色くへにょへにょしなしなになったんじゃなかったかとの推測が頭の中で有力なので、それくらい意気消沈というのか、萎縮した。5円で買える風船ガムくらいの耐久力しかこちらにはないのだから、気候には繊細に丁寧に扱ってほしい。外出できないとなると、時代と科学はまだどこでもドア的なそれを生み出していないので、家の中に籠るしかなくなり、しかしてそれはいつも死ぬほど腐る程やっている事なので別段やるべき事やりたい事の輪郭が隣り合って相互に溶け合い、換気すると寒いので締め切った部屋の中で淀み充満し、ぽけーっとしていたらやっぱりまた24時間を棒に振っていた。何も考えなくていいのは幸せな事だが、何も考える事がないのは不幸である。いや、何も考えられない脳味噌に注ぐ燃料が分からない。エンコした車と一緒で、押したり引いたりしていれば突如蘇生し動き出す事もあるのだから、できるだけ休日祝日祭日という何もしない名目を与えないでほしいのだけれど、これは発効するとおよそ嫌になるくらい幅広く影響を及ぼすもので、ゆるく流れる傍流に当てられてじゃあやっぱりいいやとsolveした心がresolveしていくのをあーあ仕方ねえなこいつはマジでと思いながら眺めている自分がいて、しかしそいつも不満を壊れたガス栓みたいに垂れ流すだけで修理工を呼んでくれないのだから、どっちもどっちで戦犯なのだ。さっき晩飯を作っていたら、2リットルの醤油がなくなった。買ってきたのが、常識的な考証に照らしてみると確か昨年6月くらいだったから、11ヶ月くらいは流しの下で日も当たらずに黙々と座していた事になる。そんな長期間ほっとかれていると、安い醤油だろうが高い醤油だろうが区別がつかないくらいに風味も飛び、色も生醤油が湛える上品な紫ではなくてどす黒い塩分の塊みたいになって、ただ塩っ気と醤油らしい香りだけが残っていれば、この料理には醤油が入っているとの主観的事実を成立させるブロックになってくれるだけでいい。まだ200mlくらいしか減っていない2リットルのめんつゆやとんかつソースも冷蔵庫の中にあって、近いうちに夢枕に立たれるのではないかとさえ思う。