他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

常温のところてんでよしよしされているかのような

夜遅くに出歩いても、夜気の寒さに身を震わせる事がなくなった。ぬるいか涼しいか、ボーダーの上で反復横跳びするような気温が知覚ギリギリの存在感で通り抜けて行くので、これくらいの気候の間に、深夜の川原で寝そべって、ぼんやりと空を見たい。夜空を見るのであって、星空を見るのではない。というか、視力が完全に衰え水晶体を引っ張るマッスルが衰亡して久しいので夜の真っ暗なビロードに(漢字で天鵞絨と書くのは知らなかった)散らばる星々が、これっぽっちは見えるがそれっぽっちも見えないのである。一等明るい金星はなんとか分からないでもないが、それ以外は皆無と言ってよい。黒い画用紙を一面に広げて、表面にちょっと埃がついているかしらいないかしら程度の、誤差である。晩御飯を食べた夜遅くに、コーラとピザを持っていって、もくもくと何を考えるでもなく喋るでもなく、虚空に視線をとろかしながら家に帰って寝て起きてからの胃もたれを想像してげんなりしたい。誰もいないと油断したカップルのムーブを帰りに目撃する事ができたら最高である。言う事なしだ。横断歩道を渡ってすぐのコンビニのショーガラスが一面ビニールで覆われて曇っており、どうやら店内改装で営業をお休みしているようだったが、5月◯日「リオープン!」と掲示が出ており、リオープンはないだろうと思った。普通、設備改装なのであればリニューアルオープンである。こちらならば、日本語として、あるいは慣例慣用として引っかかりたい所はゼロである。しかし、リオープンを俎上に載せられると、こちらも黙っていられなくなって半身くらいは乗り出したい欲が出てくる。確かに、それは、再び開くという意味を英語で忠実に転写すれば「re(再び + open(開く)」なのでリオープンかもしれないが、リニューアルオープンという先例が存在する都合上、リオープンというこなれないかつ不自然に聞こえる文言を使う必要はどこにもなかったのではないか。掲示の仕方を見るに、どうやら紙一枚一文字制を採用していたからリソースの節約のために総枚数を減らそうとニューアルの文字列が解雇されたようだった。リオープンとリニューアルオープン、天秤にかければどちらに傾くかは火を見るよりも明らかすぎるほど明らかなのだが、新しい言葉が生まれる時というのは、もしかするとこのような喉越しの違和感を伴うものなのかもしれない。パチンコ屋が、リオープン、するって、言うようになるのだろうか。