他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

神の在所何処なりしや

雑巾の四隅のどこかにほぼ必ずついている、引っ掛ける用の布の輪っかくらいずぶずぶしょぼしょぼの状態だったが、何とか乗り切った。乗り切ったと言うか、乗らなくても良い波に乗ったのだからむしろ自業自得ではあるのだが、乗りかかった船と陸に一本ずつ足をかけてはてさてどちらに命運を投げやらんやと腕組み思案していると股が避けて一兎を追う前に何も得ず終わるから、これも何かの縁と思い、エイヤッと投げ銭してみるのも悪くない。時にはうっかり一万円を投げていた事に気付き愕然とするものだが、それは本当に稀にたまになので、肩が鈍らないようにするためにも乾坤一擲は必要である。無理矢理電源をオンにしたせいでばちばちと音を立てる意識に耳を塞いで駅へと向かおうとすると、途上にあった配電盤ケースの上に、遠目に見ても珍妙な物体が存在していた。落し物が路上に放置されるのを防ぐためにそれなりの高さがあるところに安置されるのはよくある事だが、今日見たオブジェクトはそういう話をどうでもよいものとして片付けたくなる破壊力と説得力と、それから存在感と、その他色々な筆舌で舐め尽くしがたい現実の垢をてらてらと浮かべていた。木彫りのちんこだったのである。もう一回言うが、木彫りのちんこだったのである。現実である事を確かめてもらうために、くどい事は承知でもう一度言うが、木彫りのちんこだったのである。どれくらいちんこだったかと言うと、雄々しいサイズでどっしりとした金玉が2つ、そこから猛々しく伸びゆく怒張した陰茎が芯を通しており、思わず目を奪われるほどに存在感を主張しているカリ高の説得力は他に比べうるものが咄嗟に出てこない。木だからこそ表現される硬さと、木だからこそ表現されるぬくもりとが、不可思議に同居し、朝日に照らされてぎらぎらと精力を訴えていた。ファルスやファッロスではなく、あれはちんこでありペニスであり男性器であり、現実に即したリアリズムだった。見ようと思わずにちんこを見ると、意図せずまじまじと見てしまうし足を止められる。花を恥じらう羞恥心が欠けているせいかもしれないが、それにしたって、精巧で精悍なちんこが突然目の前に現れたら、それもエロ漫画のイデアから抜け落ちてきたようなものだったら、見るだろう。見るだろう? 何かがひっついていたので指で引っ繰り返してみると、バーコードだった。商品なのか。あまりに猥雑だが、玄関に置いておくにはちょうど良さそうだった。帰り道、もう一度拝めるかと思い同じルートで帰宅すると、そこには跡形もなかった。猥褻物だけでは片付けられない魅力を感じていたのに。