断続的な羽唸りの方向へ、耳の質量が形を変えてうにょうにょと伸びていくかのような錯覚を覚え続ける不眠の夜を乗り越え、朝方にうっすら訪れかけた眠気に手を伸ばした結果再びギリギリ間に合わない程度に寝坊した。湿度の伴わない癒着によって地にへばりついた身体を無理矢理起こすだけで、一日のために確保されていた行動エネルギーが消費されてしまった。何もないのに玄関脱靴にてコバエが飛び回っている不可解な状況を思い出し、何匹かのコバエが立ち上るゴミ袋をひっつかんで集積所にぶん投げた。これからの季節、ことさらに気をつけなければ、たちまちのうちに容易く迅速にあっという間に蛆が湧く。人生のトラウマ情景ベスト10に指折り数えられるあの日の光景を再訪しないためにも、早め早めに生ゴミは処理していかなければいけない。睡眠が妨げられるとはかくやと痛感否痒感し続けて体力や精神力がそろそろ限界に近づきゲージが赤くなり画面に赤の不透明レイヤーがかかり始めたので、ドラッグストアに行って蚊をしばくタイプの薬剤何かしらを仕入れようと思った。さすがにもう無理だ。実害(痒み)と精神攻撃(羽音によるMP削り)に疲弊した末に、やっと足が動いた。蚊がやべーですよと相談したところ、ベープがいいぞとのアドバイスをもらっていたため、一目散に殺虫剤ゾーンに向かう。日常にするりと入り込んでいる「殺」の文字に背筋が冷たくなるものを感じないではないけれど、喰らった仕打ちを考えるとそうでもなくなってくるので、もしや戦争はこうしてエスカレートしていくのだろうかと思考が飛ぶ。そういえば、人生でベープと聞くとノーマットが後ろにくっつく。祖父母の家、畳の部屋の隅っこで黙々と狼煙を上げているあのこぢんまりまんまるなシェイプはやっぱりベープノーマットだ。しかし、棚の隣に「ベープマット」という商品がある事に気がつく。箱をためつすがめつするに、虫除けシート的なもの、らしい。ここで、頭の中でベープノーマットが全く異なる認知に置かれる音がした。ベープ、noマット。マットタイプじゃない、マットがいらないタイプのベープ、それがベープ「ノーマット」だったのだ。今日という日まで、そして今日ベープを買わなければ死ぬまで永劫、ベープの後にくっついているノーマットの意味を一ミリも反省する事なくのうのうと暮らしていただろう。知性とは偉大である。なお、家に帰って起動したはいいものの、間も無く蚊がPCの横に止まったので親指で優しく圧殺した。ベープを買ってきた意味が、早々に薄れた。今晩はよく眠れるといいな。