他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

袖が擦り切れるほどの因果のもつれ

昨日はびっくりするくらい、普通に日記を書く事を忘れていたので、深夜2時くらいに弟の隣に倒れ込んで寝ようとして、全然寝付けなくて頭の中で雑音と絡まった糸くずが西部劇の後ろでコロコロする丸い干草のようにステップを踏み出したあたりで「おっ、書いてなくね? 書いてなくね? 書いてないよね?」と思い出して、眠くはないが起き出したくもないのでそのまま横たわったままでいた。年に数回、片手で足りるくらいの回数だけ、すっかり完全に跡形もなく忘れている日があるので、こういう瑕疵を実感するたびにあるいは人間かもしれないなと実感する。実家でのろのろしていると、自分で家事をする事もほとんどなく、人間としての力がうっすらと溶解していくのが分かる。水溶液に入れた砂糖や塩が、その意思とは関係なく、砂糖や塩に意思があるのかどうかは知らないが、水の中に輪郭を失っていく時、もしやこのような無力感の中で流されるままになったりならなかったり、するの、かもしれない。地元のスーパーや書店で、長年馴染んだ匂いを吸うと、頭の片隅でむずむずとくすぐられるものがある。こそばゆいので身動ぎはするものの、埃をかぶった棚からモノがごとりと落ちるほど可動域が実現されるわけではない。そもそもそんなに陳列してあったかなと疑問に思う。二日前くらいに友人に会って、ちょろりと触れただけだったが、スーパーモールのフードコートに数時間居座ってうどんやマクドナルドを食べながらあらぬ話や身辺の話、私の方から提供するような身辺の話はなかったが、2、3年振りに交歓した。もしかしたらこの夏最大の思い出になるくらいのビッグイベントというにはしょっぱすぎる時間ではあったが、生命体としての個を自覚するのはああいう機会だったりする。私は9割くらい中身のない、そして他の人には逆立ちしても言えない下ネタを放埒に一方的にしばき倒していただけだったが、先方からは有用というのか、なるほどなるほどそういうね〜この数年で色々会ったんやね〜、好き……となる話をいっぱい聞けたので満足である。幸せになって欲しいとはそこまで思わないが、生きてくれとは思う相手なので、今後も不定期にテロ的メールを送りつけて精神的に必要ない負荷をかけていきたくなってしまった。去り際に、次はいつ帰ってくるのか聞かれて、年末年始くらいかなあ、ふたりでクリパやろうぜクリパと適当な事を言ったら、お前ならいいか……と言ってくれた。実に得難い友人である。