他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

臨終の床のベッドメイキング

午後、トイレに行ったら下血した。前にもこんな書き出しの日があったはずである。生理的欲求は充足した時の満足感が固有の値を持っており、さすが自分では制御しづらい欲求だと思うのだけれど、充足による欠如に納得してトイレットペーパーを添えると、なんだか真っ赤に染まって白無垢を汚していた。お腹が痛いわけでもないし(特に理由はないがぽんぽんペインとは言っている)、祟るような不摂生に覚えもない。強いて言えば昨日食べたホットソース系トルティーヤだが、ホットとは言いつつ結局知覚可能に刺激物として捉える事ができたのはハラペーニョだけだったので、たったあれしきで内臓の粘膜がボコスカにされて血反吐まで催したというのは納得いかない。でも、日中はしょっちゅう立ち眩みらしき症状が亡霊のように、忘れた頃に姿を見せて来た。せっかく久しぶりに珍しい血便に会ったのだから人に言っておこうと思って意気揚々と伝えると、「ストレスじゃないんですか?」と真面目に返されたその通りなのかもしれない。自分の事はせめて自分で分かりたいが、そうもいかないので困ったものだ。なにか、せめて、自分が世界で一番よく知っているものはあるだろうかと挙げ連ねようとしてみると、かなり早い段階で、やっぱりそれは自分自身なのではないかと思われてくるので、役に立つか立たないか気休めになるかならないかは置いておいてしょうもない事もどうでもいい事も恥ずかしい事も嫌な事も、情報の価値に傾斜なく物量だけで言うとやっぱりそれらの一番を飾るのは自分自身で、じゃあ自分の多少なりともエンサイクロペディアではあるのだった。目次も総覧も端書も立派な装丁もないが、捨てるに捨てられない本棚のすみっこのあいつみたいな、そういうやつ。眠気の甘さと重苦しさ、先の見えなさとしかしてその逆を行く清々しさがヴェールを下ろそうとして頭の中の舞台装置を揺さぶってきている。そこで寝ても実践上何の問題もないが、なんとなくやっておかないと気持ち悪いあれこれを後に残したまま、机の上に半身を乗り出して突っ伏し半端な時間に起き出して関節の痛みに眉をしかめるあの瞬間のあの味、しばらく虚脱と重奏低音とガンガン鳴る鐘の音にやる気や生きていこうという行動コマンド、夜の裏側の匂いでピースの欠けたパズル画面みたいな意識で不完全なステージ走破を要求されるのが嫌だから意地で起きているが、生理的欲求が直ちに満たされる事のなんと幸福な事か。