他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

焼ける死臭に唆られる

駄菓子屋に昔ながらのおもちゃも置いてあって、だるま落としや和凧に混じって万華鏡があった。値札に「まんげ鏡」と書かれていて、一瞬「えぇっ!?」と思った。そんなもん拡大して見たがるやつおらんやろ、と。もちろん全く関係なかったわけだが。初っ端3日をとても上品とは言えない事を考えて過ごしたので、まともな向こうしばらくは送れそうにない。今思い出したが、メールで送られて来た時節のあいさつ2つのどちらにも返信していない。こういうところがダメですね。特に言う事がなかったら返信せんでもまあええやろ、みたいなね。自分の中のほぼ全てが内向きなんだろうな、と。英語のinertiveは人生における座右の銘のひとつであり、片時も忘れないようにしていきたい。地下駐車場で停める場所を探している時に(運転していたのは私ではない)、私の中で生起する欲望のうち「〜させたい」という形態をとるそれらは、行為目的語が自分自身ではない事に気が付いた。それらの希望される行動は、私に向けたものではなく、非人称の虚空に向けられたものであってほしいな、という、どうやって説明すればいいのか、窃視的らしき性質のものだなと悟った。自分しか咀嚼できないような様式で頭の中を出力するのはあまり本意ではないのだけど。あるいは、こういう自分でしかデコードできないものを持っておく事が重要なのかもしれない。答えは出ない。今まで何度も考えてきた事なのに。スーパーのお菓子売り場を見て回っていると、大好きちゅきちゅきいっぱいラブビームなブルボンプチシリーズに「大人のプチ」シリーズが出ていた。ただのプチでも好きなのに(好きなのはチョコチップが入っているものだけだが)、それが大人向けになってしまうと、とても放送できない内容になるのではないかとワクワクしたのだが、1パックに6個しか入っておらず床が抜けたくらいガッカリした。そこは、プチシリーズが持つ手数の多さを保ちつつも大人向けにグレードアップしたクオリティを披露して欲しかったものだが、なんだかちょちょぎれちゃうね。今日は焼肉に連れて行ってもらいました。美味しいお肉を食べると、嫌な事を忘れられますね。嫌な事を忘れたままになるとそれはそれでダメダメのダメなんですが。ヤゲン軟骨は相変わらず美味いし、肉のハナマサから学んだホルモンも自分で初めて頼んでみたらそれはもう美味いね。キャンペーン中だった北海道産のホルモンなんか、ものすごい塩味がついててMVPの高まりを見せた。生きていくという行為そのものにもウマイヘタがあると思うが、生きていく気を起こそうとする上でもウマイヘタがあると思う。どちらもヘタなら、そうね、どうしたもんかね。