他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

カンテラの火喰い鳥

燃えるゴミの袋は、パンパンと見えてから何回押し込むかが勝負だと思っている。今現在ゴミ箱に差しているビニル袋はゴミ箱自体の3倍か4倍の容積を誇るモンスターサイズだから(度量衡に対する感覚が死んでいるので買う時に間違えた)、3回くらいむんずと握りこぶしで押し込んでも、袋を取り出すとまだまだ余裕が見られてどうしようかとむむむする事になる。実際問題としては、生ゴミがいかほど含まれるかの実情と相談になる。明日は大事な用事があるのだが、見ておかなければいけないものをまだ見ていないし、どこで何とかもよく分かっていないし、そうかと思えば心身共に調子を取り戻さず一日安静にしていたにもかかわらずひとっつも好転の兆しを見せず、ぽやぽやしていたら終わってしまったし終わろうとしている。寝付こうとしても眠りの実体をつらまえる事ができず、3割くらい、意識が水面下に落ちて表面が濡れるだけで、海綿脱脂綿にはなれなかった。眠れないと色んな事を考えるが、眠りの紛い物に袖を掴まれて、暗い道を振り返るだけでもその中身はすっかり忘れている。ではあるが、その時々の自分には他の事事がどうでもよくなるくらいに万事に化けて覆い隠し包み込んで消化を始めたりするもので、とろかされ切りそうになったところで意識がぷかりと澄んだり浅い泥沼から窺う程度まで足を転ばしたりして、結局その重さと締め付けの強さを握りしめたお小遣いの手は筋力を失うのだから、内在のセーフティ機能が働いているのかもと想像が逞しくなる。筋力がないよりはあった方がいい。姿勢が悪いとデメリットしかないので。何回目だか分からないが、ここ数年で言った事言いたい事言わなかった事全てをひっくるめて一行で表すと、「頭の中が真っ白で何もまとまらず自発的火花がない」で終わるのに、それを秘伝のタレのように継ぎ足し継ぎ足し薄めて他の混ぜ物をして延々パンの上に塗る溶き卵白(卵黄だっけあれは)みたいな事をしているわけで、もうちょっと他に磨く芸があったのではないかと思う。五劫の擦り切れとは言うが、擦り切れさせて意味のある石を撫でなければ、まっことただの腕往復運動になる。いや、五劫もかかるほど立派なマテリアルをそもそも持ち合わせているのか。頭の中に材料がないので議論が建設できない。かぐや様の……17巻? だっけ? を読んだけれど、長短問わず話をぐいんぐいん持ち上げ引っ張りあれよあれよとついていっている間にいつの間にか終着点にガイドされているから……。毎度毎度卓にして抜なストーリーテラーだと思う。