他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

七草枕粥

家の前に、ジャンパーが落ちている。理由は全くの不明。ぽいっと捨てた感じではなくて、脱いでそのまま下に落としたような。あまり見ない不思議な有様でそこにある。チョコレート系の茶色で、そのせいで自身が自身と合一化して何なのか分からない雰囲気をまとってうずくまっている。夜に帰ってきて、ちょうど家の前は街灯がなく、薄暗くなっていて、その明るくなさの中で見ると、うりぼうの死体みたいで頭がバグり、えっ、えっ、いや、うぅ〜ん? といった絶妙な気分になる。開高健全集は図書館に返して、昨日だったか一昨日だったかに借りてきた新渡戸稲造のエッセイ、みたいなものを読み始めた。えーとですね、『自警録』ですね。講談社学術文庫はほとんど縁がなかったので、その棚を(おそらく)古い方から順々に眺めていって、面白そうかなと思ったものをピックアップした。結局文庫本というフォーマットが一番性に合っている。持ち運んでも疲れないし、持ち運んでも重くないし、手に持っても疲れないし重くない。洋書のごっついのや、単行本上製本のぐっと手に響く重みも、机や膝に置いて時間をかけて没入するには大変すばらしいものではあるが。また寝付きが悪くなってきて、あっちにうんしょ、こっちにうんしょしながら街灯を瞼を通して恨めしい目で見つめる時間が帰ってきた。身体の中の各所様々なリズムが上手い事一致するとぴしゃりと気持ちよく意識がフォールダウンするのだが、なかなかその周期一致の瞬間を捕まえるというのか、迎えに行くのが難しい。どこにいるのか分からない。神出鬼没って何だよと思った。神様のように出てきて、鬼のように没する。没するというのは、多分いなくなるとかいう意味なんだろう。そうでなければ出ると対応できない。そうか……。神様は出てくるのが上手くて、これは、古代ギリシア演劇なんかのデウスエクスマキナ(いつも思うのだが、これに対して当てられる言葉がラテン語であるのはなんだかちぐはぐでヘンテコな感じだ)みたいなもんだろうか。鬼がいなくなるのが上手、はよく分からないけれど。では、神様は退場がヘタクソで、鬼は登場がヘタクソなのだろうか。インパクトはあるが場を時間をかけてうねらせる力はなくて、他方で最初は微妙だが尻上がりに盛り上がらせる力があって。そういう事なのか? 神出鬼没は、頭の中にある考え色々に対して最もふさわしいと思うのに、メモに残そうとその瞬間実行まで移さないと跡形もなくいなくなる。難しいな本当に。