他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

白目鯛

部屋が寒いと思ったら、台所の換気扇がつけっぱなしになっていた。外の冷たい空気が入ってくると、換気扇がちゃんと換気してくれているんだなという当たり前の事を感じる。今日は空気が冷たかったが、なぜ冷たかったかと言うに憎っくき雨が降っていたからである。最初は音もなく静かに、悄然と降り始めていたから、しばらく気がつかず、洗濯物の向こう3分の1くらいが犠牲になり、屋根のドリップスポット直下にあったズボンは帰らぬ人となったので洗濯機に出戻りとなった。滴るほどにびしゃびしゃならばもう一度洗濯するが、触って湿り気を感じる程度であれば看過する事が多い。そこまで神経質になっていては、家事なんてやっていられない。冷蔵庫から出したり、食料棚から引っ張り出してくる食品や調味料は、触る手こそ石鹸でごしごしするなりして清潔に近づけているわけだが、触られる方のマテリアル一派はと言えば、屋外から入って来た手でむんずとつかんでべたべた触って、各所数々の第三者接触を経た上でそこにあるわけで、つまりこちらが手を洗ったところでは不足が甚だしく、あちらも負けじと消毒液のプールに突っ込んでやるくらいの過程は必要になるのだ。これに気が付いて以降、台所に立つたび間断的に思い出して微妙な顔になる。腹を著しく下したとか、流行り病に頻繁に伏せるとか、そういうのはないので、本当に、ただの気分の問題なのだ。しかし、気分もまた無碍に切り捨てる事ができない部分でもあるわけで。難しいね。石搗きを切り落とす瞬間の、えのきの房が返してくる「わしっ」というか「もはっ」というか、あの感覚が好きなので、握るジェルおまんじゅう系のガチャガチャみたいな感じで出てくると嬉しい。板チョコを何度でもパキンとできるやつとか、枝豆を何回もぷりんと弾き出せるやつとか、紙箱の上の、べっ、べべべべべと開く、ぶっといチャックみたいなのを何回もできるやつとか。端的な経験が、繰り返し再現可能な形で凝縮されていて、持っていたら持っていたで持て余すので棚の雑多ゾーンに放り込んで埃を被らせる事だろうが、夢想する分にはいい。今日は、雨のせいで一日の出鼻を盛大に挫かれて鼻血が止まらなかったから、特に何にもしていない。昨日、アンパンマンの遺書を最後まで読んだ。やなせたかしの文章は、ゆるやかだが絶対的なつながりのある構成要素がふよふよしているようで、読む分にストレスを全く感じさせない。文章の性格を、各個完全にイメージで捉えているらしい。