他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

nothing but nothing

晴れたので洗濯物を干した。晴れている時に洗濯物を干すというのは、つまり当たり前なのだが、晴れの中に、そして終日晴れであろうという根拠のない自信と共に洗濯物を屋外に放り出すのは、人生で指折りの気持ちがいい事だ。家が出窓ではなく、ベランダや縁側であれば尚の事よい。尚の事よいとは言ったものの、縁側から降りて物干し竿に洗濯物をしばくタイプの家に住んだ事もお邪魔した事もない気がする。日常の東雲研究所みたいな家屋は、随分とその数が減っているんじゃないだろうか。心の中にほくほくと抱いたその前向きな感情は、がたがたぴゅうぴゅうみしみし響かせる強風がお外を大きな顔して闊歩しているのを聞きつけた瞬間に、枯葉と一緒に吹き飛ばされて行った。風が強いと、洗濯物が脱落したり物干し竿の出窓から届かないエリアに吹き溜まったりして面倒なのだ。風が吹いてパンチラハプニングが起こるほど現実はフィクションではない。何の話だ。少し暖かかった。屋内にいる時は上着を脱いでもよかったかもしれない。5分でちゃきちゃき終えられそうなところを3時間くらいかけられると心が耐えられない。身体は緩慢と停滞に耐性があっても、心があれだ、ナパームデスのアルバムのタイトルになってた、ユーティリタリアンだ、なんかそんな感じなのだ。あるいは、最短ではなくとも短い経路が見えているのに、わざわざあっちこっち行く事はないだろうという事なのか。めちゃくちゃ眠いけれどどうしてだろう。眼が眠いのじゃなくて、頭が、心が眠い。こちらがより本質的な、あるいはより即物的で安心できる眠いである。この衝動に流されて、滝を落ちて、深く眠るとめちゃくちゃ気持ちがいいのだが、大体こういう入眠の仕方をすると、寝汗がぶあっと出ていて、深夜の変な時間に一度起き出す事になる。寝汗の水風呂とか作ったら、最高に、いや最高ではないが、かなりの強程度気持ち悪いと思う。寝汗は、あの、歩む事をやめたかのようなべったりとした張り付く感じがおぞましい。でも、エロ漫画で寝汗を見ると別の意味で捉える事ができる。物は見ようだ。見よう見まねで、本質を掴み損ねているかもしれないけれど、見られないよりはいいかもしれない。何を見ているのか分からなければ、見ていないのと同じなのだが。眠いなあ。枕と膝枕ではどちらが気持ちよく寝られるのか。寝返り打てる範囲が違うが、そこを埋めるアドバンテージがあるのか。隣に人がいてもぐっすり寝られるのか。分からん。分からん事ばっかりでも、知識欲は湧かなくて眠い。