他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

der Held

ちょうどいい、やさしい羹ばかりではなくて、たまにはかき氷でも食べなさい、という事か。大体の全てを、内容を挿げ替えて比喩にしなければ理解できないトンチキ脳味噌なので食べ物に置き換えた。好きなコンテンツに対してのオタクのスタンスというか、パーフェクトにアファーマティブだとダメやろがい、みたいな意見があったらしい。もっとずっとコン(英語のconには反対派の意がある。pro and conで賛成派と反対派なので、覚えておくと人生で使えたり使えなかったりするかもしれない。ラテン語のcontraから来ているらしい。なるほどね!)であらんかい、と。もっとずっとめんどくさいものだ、とかなんとか、そして私が信を置いている人のそれに対するコメントを見て、今一度心の中でくっちゃくっちゃやる時間を設けた。なるほど。諸手を挙げてマンセー、そうでないものは共和(まさに「共和」)国からしばき出す、ビビッドに言えばこうであるコミュニティの在り方は、居心地が悪いか、気持ち悪いと思うところはある。しかし、一度隙を見せると途端に無名有名のマスに市中引き回しの上獄門打ち首にされかねない、たとえばツイッターのような場所が披露のステージとして機能しているところもないわけではなく、暴風雨から身を守るための防風林になるのはやはりそれにproの反応を示し促成させてくれる人々な訳で、しかしそれにしても露出と披見のリスク、意味合いが母数の膨大さにより釣り合いをとるのが難しく、reliableな、提供とフィードバックの場が欲しいにしても、結局パトロンサイトはproの集まりになってしまうし……と考えがぐるぐるして止まらなくなった。ただの暴言は聞くに値しないし聞かなくてよいが、忠言やアドバイス、勧めは、全く畑違いの人間から思いもよらなかったアプローチを見せられる事があり、これを容れる器量と器用さが必要になってくる。安定した批評空間を作るには、獲物を見つけたら神速で飛んで行って腐る前に食い荒らし食い尽くし次なる生肉をただちに探しに出るタイプのハイエナは混ぜないようにした方がいい。いいというか、私は、性急に彼我を分けてしまうタイプよりも、対象ともっちゃもっちゃ時間をかけて混ざり合い、大学八回生まで行ってしまうような、スローだが有機的なタイプが批評には必要なのではないか、と考えている。何度も何度も染み込ませて、馴染んでから向き合う、という時間のかけ方を、そもそもして欲しいなと思う。