他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

cease to

自分の中にある内部構造が分裂して千々になっていた日だった。被膜のほどけた電源コードの状態よりも、少し酷いくらい。文章を読んで、頭の中で全てが上滑りするのはなかなか堪える。いや、読めてなかったのか? 分からん。精神部分の中央から、絶えず放射状に内容物が滲出している感覚が麻痺した頭の中でずっと響いていて、帰ってこない応答が帰ってこない事をぼうっと待っているだけの木偶であった。何を入力してもゼロになるのは、ずぶずぶと虚無に落ち込んでいく感覚があって止まらない。形而上もよく分からんが、というかそもそもこの語自体がよく分からんが、形而下の下にも何もない。今日は、さっき切った茄子の方が価値があっただろう。流しの下で安置していた椎茸のパックから、芳醇で濃厚な、危ない香りがした。傘の裏、放射状に走るキノコのシャンゼリゼ通りが黒ずんでいた。キノコに詳しくはないが、あれはおそらくキノコの死、キノコの腐敗が近いのだろうと思われた。今日は暑かった。昨日は、覚えてない。湿度もそこそこある。なぜなら日本だから。そんなコンディションに置かれれば、そりゃあダメになるだろうなと思った。冷蔵庫に置き換えた。キノコを煮ると、匂いに椎茸の濃い匂いが含まれている。キノコが苦手というのはいまいちピンと来なかったが、こういう匂いとか、ぶにゃぶにゃした食感とか、ダメ判定が下りそうな要素が確かに皆無ではない。なぜ好きな人がいるのか分からないものもあるし、大体ほぼ全てがなべて分からない。蓼食う虫にしても、その蓼が何百何千何万葉とあるのだから、あの摂食スピードだと、一生かけてどれくらい食べられるのだろうか。一本の木さえ枯らせないかもしれないし、あるたった一枚で人生(虫生)が変わって局地的な生になるかもしれない。何か生産的な事をしなければという、無自覚に無意識に背負った仮想命題が、その重さも大きさも分からないが、それゆえにひどく身体に、心身に食い込んできて痛くて、怖いのだ。別に何でもなくても何をやらなくても生きていくだけならばできてしまうが故に。いや、あるいはもう怖くさえなくて、潰れて肉汁を溢れさせながら、ぺったんこになった、まっさらで平坦な白い地表でどこにも視線が引っかからないまま、次の朝ごはんとか昼ごはんとか晩ごはんとか最後の晩餐とかを待っているのかもしれない。食い物の味は分かるが、味気がない。気配というか、実体が。