他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

看板を振るが何も書いてない

寝て起きたら寒かった。寝起きの意識にかかる重力がものすごくて、浮沈浮沈を繰り返していたら時間ギリギリに起きた。あの、穴にうまく嵌って抜けられなくなりそうな、ゴルフの穴っぽこの周りでボールがずっとぐるぐる走り回るような意識の沈殿の仕方に、名前はないだろうが強烈な再演感を覚える。五月も下旬と言うに、二月三月を思い出すような空気で、でも今年はかなり寒さが後ろまで居座っていたような覚えもあるが、空も一面銀色の、UFOを塗るなら明るめのスペースグレイでこんなんがありそうだなという見渡す限りの曇り空で、これはやってられんなと観念して洗濯物を部屋干ししたらホコリとカビの匂いがむんと立ち込めて一時かなりげんなりした。道路でタイヤが蹴り上げた砂埃の匂いさえしそうなくらい、カラッと晴れて欲しい。洗濯物を干す日なんか特に。3日くらい、もよもよした天気のままだ。日本には梅雨という季節がある事は覚えているしあるのも経験上分かってはいるのだが、じゃあその梅雨っていう季節がカレンダー上のどこにあるんでしょうかと聞かれると、そういえばどの辺だったっけねと後ずさってしまうくらいに梅雨への覚えがよろしくない。二重の意味で。梅雨でいいところは、雨が降っている時に見る紫陽花が綺麗なくらいではないか、梅雨と紫陽花って旬を同じくしているのだったか。小学校の教室には、季節に合わせてさくらの装飾に入学進級おめでとうと書かれていたり、紫陽花を折り紙で作ってカタツムリをくっつけたりしたようなしてないような気がする。抽出された季節感があった。唐突に、小学校の国語の時間に俳句を何本か書かされて、匿名化して掲出の上、●シールで投票したレースの中で、一回一等賞を取った事を思い出した。あの頃から、普通ではない言葉遣いを頭をひねって考えていたマセガキだったのも合わせて思い出した。昔から、普通に言える事ならわざわざ言う意味ないやんけ、と思っていたのだろう。核になる精神性の部分は、かなり早熟だったという事か。晩飯は、冷蔵庫のポケットに入れ忘れたままのなめこを使う必要があるなと認識したため、薄い櫛切りの玉ねぎとしめじ、鶏肉を酒とか味の素とか醤油で煮詰めようとした(煮詰まらなかった)和風汁だくうどんになった。鶏モモ肉を包丁でちょん切っている時に、「テーマ性はあるがメッセージ性のないもの」が好きなのではないかと直感した。全ての論理を飛ばして。かなり腑に落ちるところがある、この気付きには。