他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

つよい焼きそばのかやく

横文字で出た本が、日本語に翻訳されて局所流通しているのがよく見られます。ビジネス書とかで顕著ですが、アマゾンの労働者の実態〜とか、アメリカの看守が見た実態〜とか、ルポ的なやつもかなり数多いですね。で。その辺の本をぱらぱらと読む時に、思うのです。訳文が分かんねえ、と。自然な日本語と、原文と、transmittoできてねえなと思う箇所がぽんぽん出てくる。意味が越境せずに、壁の向こうに取り残されたままになっている事がそれはもう少なくない。この「壁」というイメージ自体がたいへんよろしくないわけだが、しかし日本の翻訳と「私物化」に関しては壁でいいような気もする。前に書店で面白そうだなと思ってちらと読んだアメリカの看守が〜的な本は、なんかこうもにょもにょした。編集者が「ここ読みづらいし日本語としての意味もよく分かりづらいんですよねぇ〜〜〜」と突いてもよさそうだが、そうでもないのか。どうにもほぐしきれていないところは原文を読んで別の人間の訳をぶちあてて、くれんかな〜〜〜無理かな〜〜〜と思う。あの絶妙な、芯の残った乾麺みたいな心地悪さは、あの手の翻訳ものを数多く読んでいくうちに感覚の方が適応していくものなのかもしれないが、そこまで耐えられないだろうなと思う。無理だ……。時代は英語や、とか喧伝されるのに、あの辺の印刷物、つとにビジネス書(かっこわらいを付けたくなったが付けるのはやめた)がさっぱり減らない事情には首を傾げるものがあるのだが、いかがか。今日も工事がすごかった。どっすんどっすん来た。昨日もらったカラーボックスを、今日中に押入れにインストールしてしまうつもりだったのだが、やっぱり無名無形のめんどくささに阻まれてやらなかった。早いところ収まるところに収めないと、廊下の幅7割くらいが今現在deadになっている。断水はなかったな。身体を動かす散歩がてら、ハンズまでふらふらして、外に出た時に工事の様子を窺うと、建物の影はなくなっていた。今は、全部バラして、搬出の真っ最中なのかしら。私の住居でもなかなかあれだが、真横の住宅は想像するだにうひょ〜って感じがする。仕方のない事だけどね。で、ハンズまで行って、ネギスライサーを買った。生姜を擦るにも、ニンニクを剥くにも潰すにも、ネギを小口にするにも白髪にするにも、数々のユーテンシルがあって面白かった。玉ねぎにぶっ刺してみじん切りの補助をする、櫛みたいな器具は初めて見た気がする。