他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

腸よ鼻よと可愛がり

「好きな人に『鼻が好き』って言われた事があるけど、それってどうなん?」という話があって、私はぜーんぜん問題ない、普通と思いましたが、すんなりとその結論が受け入れられなかったため、この件についてよくよく考えてみたいと思います。問題を定義しなおすとすれば、「鼻は愛慕感情の理由のひとつになりうるか」、と書けるでしょう。この話を聞いた時、ひとつのエピソードがピンと頭の中に浮かびました。アメトーークの、嫁大好き芸人の回だったかと思いますが、出演者の一人が、「嫁さんが僕の鼻の脂を抜いている時、かわい過ぎて鼻に噛み付いてきた」という話をしていました。ここでは、鼻が欲望の発露の行為対象になっている事が分かります。また、おそらくSMプレイの範疇に当たるのだと思いますが、鼻フックというものも思いつきます。鼻フックを用いたプレイは、鼻フックで鼻を逆さまに吊り上げて間抜けな表情を晒させる事により、行為者の嗜虐心や被行為者の被虐心を満たすものですが、注目すべきは、変化が起きているのは鼻という部位、ただひとつだけであるという点です。鼻にフックが作用する事で、美醜の転換が起こっているわけです。鼻ひとつが生み出すダイナミズムは相当大きなものなのです。芥川龍之介の小説『鼻』には、奇っ怪な鼻の形をした禅智内供という登場人物がいますが、この小品の中でも顔のパーツである鼻にまとわりつくイメージが滲み出しています。また、鼻の文字がつく言葉をあれこれ書き出してみると、団子鼻、座り鼻、鼻の穴がでかい小さい、イチゴ鼻などがあって、これらは多分にマイナスイメージを含むものですけれども、モデルや俳優に対して、あの人は鼻筋が通っているだとか高いだとか述べられるのは賞賛の文脈であり、鼻に対して美醜の物差が当てられる事が少なくないと言っても問題ないでしょう。顔面という部位がコミュニケーションで重要な立ち位置を占め、鼻がその中に含まれる事を考えると、ある人に対してなんらかの評価を下す時、鼻がその評価に影響を及ぼしたとしても驚く事はないのではないでしょうか。こうして冒頭の問題に戻りますと、美醜という単位は、基本的に、愛慕感情の発出に程度の差こそあれ関係していますから、鼻は愛慕感情の理由のひとつになりうるという結論にも納得できましょう。私は昨日「鼻フェチ」という言葉を使いましたが、これは分かりやすいけれども的確ではなく(フェチという言葉に原義を超えた余剰物がくっついてしまっているため)、執念、拘りと形容するのがいいように思われます。コンプレックスと言ってしまってもいいのかもしれません。一見突飛に見える嗜好でも、精神分析学的アプローチなどで解体して説明できるかもしれないからです。私は、マスクを正しくない仕方で着用した時の、鼻の下にマスクの天辺がくるあの景色に、言いようのない感情を抱くのですが、これもいつか自分なりの説明を見つけたいものです。