他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

縦横無人

今日も、すごい調子が悪かった。昨日も調子悪かったんだっけ? 覚えてないわ。それくらい、脳味噌の稼働が悪かった。普段を10000円くらいのママチャリだとしたら、今日は、成人してから見る、子供の頃乗っていた埃まみれに黒ずんだ三輪車くらい。三輪車って、ある程度成長してからは乗る機会がないけれど、あの乗り方とフォルムは、また乗りてえなと思わせる何かがある。尻がどすんと落ちて、膝が鋭角を描き、ふんぞり返るような姿勢でなければ漕げない。何かに似ていると思えば、なんとなーく、二輪車を乗り回すライダーみたいな感じに見えるのか。人生で、免許を持っていないのでバイクに乗った事はないが、乗せられた事は、一回か、二回か、くらいある気がする。二回もあっただろうか。というか、そもそもバイクに乗せてもらった事があっただろうか。親父がバイクを持っていて、それの後ろに乗せてもらった事が……。あったかなあ。つられて、この前、家族に関するトラウマを全部ミキサーに入れてぐちゃぐちゃにしたような夢を見た事を思い出した。見ている間も気分が最悪だったし、目が覚めてからも内容を反芻すると、端的に言わずとも最悪だったので、不貞腐れて二度寝したはずである。それくらい、なんというか、家族に関する、私の中にある嫌な成分全部を煮詰めたようなナイトメアだった。これを覚えているのはすこぶる嫌なので、頭の中から剥ぎ取って全部全部捨ててしまいたい。私は、コンプレックスという語が、原義に近い意味で、とてもよく分かるような気がする。もう、日本語では、陳腐な意味に成り下がってしまったが。ゴミの日だったのを、夜になってから気付いた。あーあ。もう何回忘れている事やら。棟方志功が「人の人」で、オーウェルの様々を感じ、これで前に買ってきた文庫本は全部読んだかと思ったのだが、紙とiPadの間に、もう一冊挟まっていた。井上ひさしの小説があった。井上ひさしは、その容貌と、中学(高校もだったが)の時によい意味でも悪い意味でも交歓した、国語の先生の思い出がべったりくっついて離れない。その先生は、演劇部の顧問で、それはもう、お前が言うなと言われそうだが、かなりコーナリングの効いた性格をしていた。なればこそ、そこそこ以上に話ができたのかもしれないが。同じく、これはこれでいつまでも記憶に残り続けそうだが、同等以上に特徴的だった、高校の国語の先生の事も思い出す。キューブリックの映画とか、私の面白がりそうなものを、連絡帳だか、漢字の小テストだかの余白で教えてくれたのだが、まだ観ていないなあ。