他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

潮騒、海鳴り

やっぱり、流し下から不自然な音が続くので、なんかまあそういう事なのだろう。共生だ。慈愛だ。譲り合いの精神だ。私が普段、そこを動的エリアとして利用していないので、自由にするがよかろう。産めや増やせやされると、ちょっと困るが、最悪、目に見えるところに出てこなければよい。崩す工事が終わってから失念していたが、崩したら今度は建てる工事が始まるのである。コンクリを、高速回転する電鋸で切るような音がし始めた。壁沿いに、ちらっと視線を投げただけだが、ずいぶんとずいぶんな基礎工事が終わっていた。あんなにしっかりした基礎工事をして、今度は何が建つのだろう。前は、細っちょろい、一階部分が駐車場エリアとして抜けたちんまりしたビルだったが、今度は一階から建物がみちみちのようだ。こんな混み合った居住区で、しかも玄関ドアの目の前にそんなマッシブなものがあると圧迫感がありそうだが、なんか理由があるのかな。崩すのとうるさいのは、どちらがメンタルを削ってくるのだろう。そもそも、記憶がたちまちあやふやあいまい水羊羹になる脳味噌のせいで、崩す時の音を覚えていない。なぜこれほどまでに記憶が溶解して形をなくすのが早いのか、自分でも分からない。まだ、ずっと、どれだけ寝ても無限に眠い。底なし沼を底さらいし続けているかのようだ。よく知らないのだが、底なし沼ってどの程度底なしなのだろう。地層スキャンの画像でも見せてもらって、まあだいたいこの辺まで、こんな仕組みで底なし沼なんですよ、と説明してもらいたい。パッと調べてみたが、そんなに深くないらしい。しかし、ハマってから抜け出すまでの動画を見ると、生き物として背筋がぞっとするような感じがあった。静かに、とぷとぷといなくなっていくのだ。フェチのひとつに、吸収とか、それこそまんま、底なし沼に飲まれていく、みたいなのもあったはずだ。でも、怖さを抜いては見られなかった。多分、何も知らなければ、順当に、たちまち頭までいなくなって死んでしまうと思う。自然というのは怖いものだ。いっぱい買ってきた本の中から、森博嗣の100のつぶやきシリーズは読み終わったので、遠藤周作の、どっかの雑誌に連載されていたコラムをまとめたものを読んでいる。正直、海と毒薬くらいしか知らなかったのだが(読んだ事もないので一緒に買ってきた)、これを読んでみると、お堅い仏頂面なんかでは全然なく、一人の人間なのだなと思った。一人でいる事が、解消すべき・脱却すべき境遇、と考えているのとか、ちまちま相容れないところはあるが。