他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

洗ってない

洗濯物を回したら、ちょっと少なかった。シーツを洗っても大丈夫だった。シーツを洗う時に、中に他の洗濯物を巻き込んで、すすぎが終わった後に蓋を開くと、衣類のでっかいおにぎりみたいになっているので、シーツ用の洗濯ネットが欲しい。あと、洗濯が終わった後にシーツの端っこにはりついてこびりついて跋扈跳梁している埃だか繊維質の塊だかを解消するアイテムが欲しい。槽内の埃を一手に引き受けるネットは、多少機能しているが、すぐ元通りになる。槽洗浄をしたのに、ほとんど変わらなかったのもよく分からない。あれは、もう、並の薬剤では焼け石に水な、歴史地層になってしまったカビと埃と垢と何かのレイヤーなのだろうか。そもそも買い換えるしか手立てはないのか? 家事サービスを提供している、ハウスクリーニングの専門家に聞けば、そういうのとか、トイレの便器に生えてやまない黒いコケみたいなあれとか、対処できる薬剤が分かるのかしら。食材が心もとなくなって久しいが、今日も買い物に出なかった。出なかったなあ。スーパーに買い物に行くというのは、外出の理由としては嫌いではないのだが、最近、ちらほらと本を読んで、心風景の変化が起こっているような気がするので、だいたいその時節は行動する気が起こらないものだから、それに由来するあれこれなのでしょう。読んだ本。小田嶋隆『日本語を、取り戻す。』武田砂鉄が挙げていて、またラジオでもゲストに読んでいた、コラムニストの本。政治家の言葉を取り上げて、コラムとして形成しようとすると、どうしてこうも、みんながみんな、もよもよした手触りの文章になるのだろうか。スパッと、白刃煌めくようなものではないのだが、失言とか、スローガンとか、政策コピーとか、向き合って相撲をしようとすると、こういう質に取り込まれてしまうのか。アベノミクスアベノミクスと呼び、指す時点で、パッケージをそのまま受け入れる敗北であるとか、「ニコニコしているのは、幸福な日本人だろうか」とか、つい、ムムッ、と立ち止まって考える点があった。エラーが多すぎるのに、エラーが健在で、こっちがおかしいような気がしてくる。バービー『本音の置き場所』武田砂鉄は、ひとつの読書指標である。家族計画に失敗して生まれた子だとか、ムダ毛処理への姿勢が生まれた理由だとか、真正面から書いてある。芸人として、一番尊敬しているのがラーメンズだとあり、ポップとは反対に行こうとしていたとかもあり、あら、と思った。