他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

縦列降車

タブレットを使ってみれば使ってみるほど、自分の行動様式にとことん合わないなと思えてくる。タスクをタブ管理して、それをまとめてウィンドウにして、そのウィンドウがいくつも開いたまま同時並行で動き続けて、一足で目当てのところへ飛んでいけるような、要するにMacタッチパッドを指3本で上にぴゃっとやった時の、あの状態が好きなのだが、タブレットだとどうにも納得行くような気持ちの良い収まり方にならなくて、細かい部分で小さいストレスが溜まり続けていく。一週間前後と言っていたから、クリスマスイブ前には帰ってきて欲しいところだが、どうだろうか。今日は、2回くらい起きたのだが、抗い難い、気怠さと、中身の無さが頭から取れなくて、布団の中でずるずる存在の引き延ばしを図っていたら、14時に目が覚めた。なので、今日はほとんど何もしていないし、しようと思っていた事の、半分も終わっていない。そもそも、何かを終わらせようという積極的な気持ちがどこにあるのか。今日は、長らくぶりに、まっこと、産業廃棄物のような有り様で世に留まり続けてしまい、何をしても恥のような気持ちがしていた。あぁ、あぁ、と言いながら、時間がぽろぽろと、デッサン用の乾いたフランスパンが欠けていくようになるのを見ていた。デッサン用のフランスパンは、たまに食べてもいいよ的な事を言われるのだが、鉛筆のカスと、油絵の具のの匂いと、手垢と、色々が降り積もった状態のそれを、口に運ぶ気がするかというと、大体においてしないものである。新品を買ってきた時には、ちょっと齧ってみたりもしたが、パン単体で食べるには、私のパンという存在物そのものに対する愛情がさっぱり足りなくて、お、パンの味がするな、くらいしか物思わなかった記憶がある。部活動の時のことを思い出していた。人生で楽しかった時期は、一体いつだったかなと考える事があるのだが、もしかしたらあの辺りだったのかもしれない。私には現状肯定能力というか、自己肯定能力が欠けている。とかく、褒めるとか感謝するとか、あの辺りの所作が苦手である。何なのだろうな、一体。帰省した折、会おうとしている友人2人、一応アポが取れた。年内には会えなさそうである。何がどうとかではなくて、彼彼女のスケジュール的に? 両者ともに、私の人格形成においては少なからぬ関係があったから、願わくば会えるとよい。私が、友達いますか、と言われて、パッと挙げられるのはあの2人しかいないので。