他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

散逸集合地

包装の箱をほっぽり出したままにしたり、窓枠から落ちて散乱した綿棒を拾い集めずに散らばったままにしたり、部屋の中の散らかり具合が混迷を極めてきた。帰省する前には、掃除機と、買って来たのに開封すらしていないフロアワイパーくらいはかけておきたい。おきたい、とか言って、本棚を押入れにまだ設置していないばかちんが私なので、ほんまにするのだろうか、と他ならぬ自分自身で半信半疑、いや疑いが6、7割くらいある状態である。後でやるとめんどくさいので、買ってきた食肉はさっき小分けにして冷凍庫へGOした。年内は、冷凍庫にある分だけで食肉は足りるとか言っていたやつは、これもまた私なので、こいつバカなんじゃねえのかと思っている。本当に。買いながら思っていた。頭と身体は別の事を考えられる。幸いというか、残念な事にというか。今日は、「どうしようか」という命題をどうしようかと考えている間に、日が終わった。大変に下手くそなレトリックじみているが、これが真実なのだから仕方がない。どうしようかをどうしようか、ころころ転がして考えていると、不思議な事に時間がどんどん、ドライアイスもびっくりな勢いでなくなっていく。タイム・イズ・マネーというが、私はもしかしたら、世界時間浪費者ランキングでもいいところまで食い込めるかもしれないくらいスカスカだ。金を使わずして、その価値を費消させていくのが楽しいのかもしれない。また、言葉の字面だけで物事をいじくって遊んでいる。そういう事をする時間があったら、こういう事をする心の余裕がなくなると、まだ人格が千々になって、伸びて、割けないチーズを無理やり割いたみたいになるので、できるだけ無駄は許容して生きて行きたい。しかし、無駄を抱えてえっちらおっちら歩いていると、とろとろに溶けて実体を失いそうになるので、こう、いいバランスを見つけなければいけない。見つかるのだろうか。色々、自分の精神構造に対して自覚的というか、外部的な枠組みをもってして把握できるようになった年を思い出せば、今経験何年目、という逆算ができるのだが。生き延びるためのラカンがそうだったと思うが、あれはいつ読んだのだったかね。この前、象徴界現実界想像界を、人間から遠い順番に並べようと思ったら、分からなかった。想像界が、確か一番近い。で、残りのどっちかが、もう一方で濾過されて想像界に至る的な感じだったはずなのだ。現実界が、象徴界(言語)で加工されるのだったかな。もう、原型が怪しいくらいに自分勝手にカスタムしてしまったが、精神分析は本当にいい理論だと思う。