他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ビーサンビンタ

身体と頭が分裂して、思考が複線になって、でもどの路線も同じ、内容のない空っぽな事を考え続けている。分からない比喩だね。レールが何本も敷いてあって、その全部に、全く同じ人間が走り続けているようなもんだな。そいつには意味も意義もなくて、空虚を型押ししてクッキーにしたような、そんなのが。アニメイトにいると、疲れる。私は、ああいう場にいると、あぁ、あぁ、と思うようになった。ただただ、あぁ、あぁ、と。月に若干回の、新刊確認作業に行って、心がさかむけてしまったが、道満晴明のオッドマン11、2巻にして最終巻が出ていた。表紙を見た瞬間、心の中で、文字にならない小さな叫びとも呻きともつかない声がぼとっと落ちた。1巻が出たの、何年前だろうか。続刊に対して非常な感覚が開くのは、いつもの事と言えばいつもの事なのだが。先週くらいに、物事がスケジュール通りに進まない様を、西尾維新物語シリーズ刊行予定と同じと言ったのだが(予定だと、モンスターシーズンは全部出ているくらいではなかったかな?)、これもまたその類の事象のひとつかもしれんなあ、と思った。内容は、確か、すげーやべーやつ11人に、主人公の女の子がどんどん好かれていくみたいな話だったはず。すげーやべーやつばっかりだったはず。今日は晴れた。ぺかぺかに晴れた。物干し竿には、昨日の雨がぴったんぴったん降り注いでいて、屋根の傾斜に対して、何度目か分からない呪いをかけた。屋根が崩壊して家屋としての機能に障害が出ると、困るのはこちらなのだが。傘を持たずに歩けるのは素晴らしい。手がぶらぶらしている。どうせ上着のパーカーのポケットに両手を突っ込んだ猫背で歩いているので関係ないのだが。身にまつわりつく障害物がカバンひとつというのがよい。手を振って歩いてみようかという気になった時、すぐさま手を振って歩けるのがよい。渋谷の街は今日も汚かった。ゴミはいっぱいあるし、店舗の出したゴミが突つかれて散乱しているし、マナーが世紀末のヒトモドキがポイ捨てした大量の飲食ゴミが散乱している。ところどころ、集中的に貼ってあるステッカーの塊を見るのが、最近好んでしている事である。頭の中で、おおよそ、とてもおおよそなぼんやりとした、わたあめみたいなタグクラウド的なものができている。どういう種類の、どういう集団のマークなのか、というのを、分類したような気になっている。ひとつ、好きなグループのものがあるのだが、まだ4つくらいしか見つけられていない。