他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

エッグマウンテン

昨日は家に帰った段階で疲れ過ぎていたので、何も書く気が起きなかった。今日が祝日だという事を忘れていた。何の日なんだろう。一年のうちで日付を覚えている祝日は天皇誕生日くらいだったが、それも天皇が変わった事により役に立たなくなってしまった。そもそも祝日に関する理解の解像度が「休みの日」くらいのものでしかないので、知らずとも益も害もないなと思っている。海の日だからと言って海へ行くわけでもないし、山の日だからと言って山へ行くわけでもない。思いを馳せるわけでもなく。私は興味関心の傾斜配分を間違えたままやってきてしまったので、なんかもう色々めんどうくさいのだ。書店にないものもあるので、Amazon筒井康隆の著書を探していたら、私が欲しいものは大体絶版になっていた。母校の図書館の隅で、私しか読んでいなかったあれやそれ、どうせ今でも誰も読んでいないだろうから、馴染みの司書の先生がいる間に、話をしてこっそりもらってくればよかった。漁っている最中に、柳瀬尚紀との対談本があるらしい事を知った。私の中のスタア2名が登場している、かなりびっくりする本である。どちらも言語を執拗に弄くり回すという点で、私が好きな事をやっている。フィネガンズ・ウェイクの翻訳をちょっと覗いただけでも、これは本当に日本語なのかと思うような、頭がぐんにゃりする感覚がある。翻訳というものに対する意識に少なくない影響を受けた人物であるからして、モラルについて多大絶後の影響を受けた人物と何を話したのか気になるところである。家に帰ったら警官に妻が強姦されていて云々、みたいなのを多感な時期に読み、物の見事に私の内在規律は木っ端微塵になった。文庫で本の数ページの短短編であるが、確か蛭子能収が担当した漫画のイメージの強烈さもあり、あれは全作品の中で一番記憶に残っていると言っていいかもしれない。あれを知っていなければ、つげ義春ねじ式を読んだ時も、理解できなかっただろう。多分、大体において、全ては繋がっているのだ。捨てなければいけない資源ごみが溜まってきた。忘れなければ捨てるが、どうせあと2週くらいは忘れるので、移動快適度が著しく下がりそうな予感がある。牛乳パックの切開を特にさぼっているから、早いところあれらを展開する作業が必要とされていますね。明日あたり、洗濯機を回さないといけない日である。バナナが黒くなってきたので、明日完食するくらいでいよう。