他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

風節

3時か4時くらいまで寝付けなかった。新聞配達のバイクがぶるんぶるんする音は聞いたので、その辺りまでは間違いなく起きていた。夜のもっちゃりした空気の中では、色んな事を考える。考えなくてもいい事まで染み出して滲み出してくるのだから、あれはきっと特別製の、スペシャルなマテリアルで構成された、この世ではいと珍しい何かしらなのだ。換気のために窓を開けていて、寝る時も、大丈夫そうなので少し開いた状態にしていたが、掛け布団の中でじっとしていると、暑い! と感じられて、手袋の中で手がじんと熱を持っているのが分かった。季節が変わりつつあるのかしら、とか思った。夜通し外気にオープンなままで平気だったのだから、変われば変わるもんだ。かと思えば、明日はまた最高気温9度最低気温1度になるとかならないとか、ジェットコースターみたいな乱高下を見せてくるらしい。油断して窓を開けていると大変な事になりそうね。あるいは、寒くて目が覚めるので、そっちの方が自然でいいかもしれないけれど。玄関に燃えるゴミがどったりと横たわったままだ。捨てるのも忘れているし、それよりもさらに、捨てなければいけないゴミがあるという事も忘れている。机の周りにあるあれそれにしか意識が向かなくて、これもまたよくない傾斜だと思いはするのだが。寝られなかったので、音楽を音楽として捉えられないままずるずる来てしまったなとか考えた。どう考えても、歌詞に音がついているものであって、音に歌詞がついているものではない。たとえは物の本質を失うが、しかし、空耳ではないという事であって。文字の中でもにょもにょしているだけでいいのかしらとか、思う。「ジャズ大名」を電車の中で読みながら、楽譜が読めないので、そして音楽にさっぱり詳しくないので、文章をねぶるように読めないのが腹立たしかった。一音ずつ、頭の中で当てはめながら歩く事はできるが、それを総合的な景色として捉える事はできない。文化的な自己認識の様式は文章・絵・音楽の3タイプに大別できると考えているが、理想的にはこれを全て一身の中に収めた方がよい。片手落ちどころか、三叉路のうちひとつしか進めないので、都度最適解、あるいはベターな手法を取れないのがストレスになる。どこかで是非音楽についてはなんとかしたいと思っているのだが、何かに対する強い憧憬は単三電池とも思い、これは私にしか分からない言い方だったのでよくなかったな。