他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

逆立ちほうれん草

筒井康隆富豪刑事』を読んでいる。まあ面白い。すげえ面白い。人はばかすか死なないし、上を下へのどんがらがっちゃんがあるわけでもないのだが、ついついと読んでいける澄明な面白さがある。一本八千四百円のハバナ葉巻を、火をつけてすぐに捨てたり吸うのを忘れたりするような弩がつくような金銭感覚の男が主人公であって、本人ではなくその父親が弩がつくような金持ちである。なぜ金持ちであるのかとか、それについてどう思っているのかとかは、これもたいへん愉快なので読んでみてもらいたい。主人公であるところの神戸大助という男、彼の人格が、この小説をおもしろいものにしているのだと思う。へにょへにょしていて、その割に芯があって、人が好さそうで、不思議な魅力がある。内面描写はほぼなくて、ぽんぽんぽんぽんと話が進んでいって、それは改行も接続詞もなしに、突然次の場面へステップしていたりするほどであるが、それでも滲み出てくる人間的魅力というのか、にこやかに受け入れてしまう好もしいものがある。記憶の中にある装丁と違うのだが、あれは新潮文庫版ではなかったのだっけ。それとも、途中でカバーがリニューアルされたのかしら。これについては、よい買い物をした。買った事をそもそも今思い出したものもあった。かぐや様の21巻とか。あとで読むか。バナナマンのコントも観返したいな。日記を書けるようになったので、まあ、精神は持ち直したと言えるところまで来たらしい。外的な評価尺度を持たないので、自分の中身を抜き出して客観視できるようにする仕組みを作っておいてよかったと時々思うような思わないような。毎日文章を書くようにはしているので、頭の中で思考が流れる水路というか、おもらしだかを、捕まえておく方法を忘れずにいるのはよい事かもしれない。文体というか、文章のノリというか、温度というか、を選択しなければ、文章が書けないので。自分にとって扱いやすいもの、それの各場面に応じたグラデーションを把握し続けられるのが効能といえば効能か。そんな事考えながら日記を書いている人間がどこにいるというのか。業務スーパーで、冷凍の鶏もも肉2キロが安かったので、座布団を二つに折ったくらいのサイズの板を買って帰り、冷蔵庫でゆっくり解凍していた。小分けにするため、切り捌いてからもう一度冷凍庫へゴーしたのだが、2キロの肉をざっぱざっぱと切りまくっていると、命とはなんなのだろうなと、ぶちゅぶちゅした暗いピンク色の塊に思った。