他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

絵潰し

昨日から洗濯物を干しっぱなしにしていたので、さぞかしよく乾いている事だろう。本来であれば、夕方の日が沈み始めた頃に取り込むのがよい。夜になると、外気に晒されてちべたくなるからだが、そこに至るまでのめんどくさいの壁を乗り越えられるか否かが焦点となり、大概、壁に反射した陽光で取り込む気は焦げてなくなる。昨日扇物語を引っ張り出した時に、まだ読んでいない、同時に買ってきたはずの西尾維新の本が2冊埋没しているのを確認した。なんという。それを言うと、多分5年くらいどこかで塩漬けになっている何かの本が、本が積まれているエリアの段ボールのうちいずれかに入っているはずなのだが、正直どれがなんなのか分からなくなっている。引っ越しの時、ごく一部の段ボールに関しては中身がメモに残してあるが、それ以外は、物質的には集積しているが情報的には散逸してしまった。そらのおとしものとか、どの箱に入っているのだろう。机の真横にある箱は、キルミーベイベーが入っている箱だと思ったら、なんか違ったくらいの記憶しかなくて、現在は箱天面に引くほどの物量が積み上げられているから、中身を確かめる術が片付け以外にない。その真下にある箱は、コンポを入れているはずなのだが、これもそもそも置く場所がないという致命的問題があるため出していない。ラックの最上段を片付ければ、乗せられる気もする。本質的に必要なものは、どこにも置かれていないと思うし。しかし、年に1、2枚程度しかCDを買わないのに(そして時勢的にはCDというのはどうにも時代遅れのものになりつつある気もする)出したって仕方がないという気持ちもある。私は、おそらく、音楽を文芸として捉えていて、またその枠組みを抜けられないまま死んでいくので、なおのことしようがないのではないかと思う。なんなのだろうな。『日本の包茎』を読み終わった。3〜4章の、雑誌メディアの無責任ぶりというか、己を貫くポリシーのなさ、そして包茎ビジネスをinventし過度に無用な劣等感を煽ったクリニック・院や専門家の矜持のなさ、清廉さの真反対が一番の読みどころだった。職業家としての自分に疑義を常に抱く、人間としての自分がいない人ってたくさんいるんですねと怖くなった。あるいは、良心とは不可逆的なものであって、一度磨耗すると、元の物量には戻らないものなのかもしれない。包皮を切除すると、元の長さには戻せないように。処女膜の再生手術があるのだから、現今ではあるのかもしれないけれど。あまりリカバリを念頭に置いて物事を進めるものではないですよ。